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春陽会誕生100年 それぞれの闘い:2 /東京ステーションギャラリー

承前

 東京ステーションギャラリーは、東京駅の赤レンガ駅舎内・丸の内側の北端にあり、展示室は2つのフロアからなっている。
 写真左の出っ張りが、まるまるギャラリーで、端っこの尖塔の2、3階分も展示室になっている。

 尖塔は八角形で、内部の展示室も八角形。この特殊なスペースの各辺を利用して展示される作品は、毎回、とくに印象深い作品が選ばれているように思う。
 今回は3階の尖塔部分に岸田劉生、2階に木村荘八の作品が展示されていた。本展に出品の劉生は11点、荘八は12点で、群を抜いて多いツートップ。なかでも、主要な作品はこの尖塔で観ることができた。

 劉生《竹籠含春》(1923年  個人蔵)。手付の編み籠に椿が生けられている。東洋回帰の傾向を示す一作で、劉生は同じモチーフの作を何点も描いているが、なかでもとくに優れたものと思われた。

 最も上の位置にあり、真上の方向を向いている椿一輪が、スポットライトを一身に浴びるように、際立った存在感をみせている。画面の中央に位置してもいるこの一輪だけが、異質な生命感を放っていて、釘付けにさせられた。類品の《籠中脂香》(茨城県近代美術館)も、隣に展示。

 このほか、劉生の作品は、京都国立近代美術館から多数を借用。麗子の像も、もちろん来ている。
 京近美では、2021年に劉生コレクターの旧蔵品を一括収蔵し、この館所蔵の劉生作品は8点から50点へ、質・量ともに充実をみせていた。
 このお披露目展には行くことが叶わなかったので、本展で一端に触れることができたのはよかった。

 木村荘八も、代表作が来ていた。
 《パンの会》(1928年  個人蔵・岐阜県美術館寄託)である。
 木下杢太郎、北原白秋、吉井勇らが、隅田川をセーヌ川に見立てて川べりの店に集い、文学・芸術談義にふけった「パンの会」。高尚で優雅な場面設定に反して、その模様を回想により描きとめた本作は、デカダンの風を色濃く呈している。
 三味線を奏で、独り悦に入る者。両肘をテーブルにつく、お行儀のよろしくない者。一心不乱に食事する者。上機嫌な酔っ払い。そして、最も大きく、最も手前に描かれた、唯一こちらを見ている和装の女性……それぞれに違うことをして、違う表情をみせ、違う方向を向いている。芝居がかったオーバーな仕草がおもしろい。
 がやがやと賑やかさがありつつも、全体にガランとした空虚感が漂うのは、画面の上半分を広く使って天井がとられているからだろうか。この対比と暗い色調とが、デカダンの風を感じさせる理由であろう。
 集った者たちのギラギラとした個性がうかがえるようで、とても臨場感があり、すきな絵だ。

 《パンの会》の向かいには《銀座みゆき通り》(1958年  東京ステーションギャラリー)が掛かっていた。文章もよくした荘八の代表的な随筆『東京繁盛記』で、カバーを飾った作品。

 明るい色調、茫洋とした筆致で都市風景を描くこの絵は、長谷川利行を彷彿とさせるところがある。利行との違いは穏和さであり、茫洋であっても克明なところだろうか。東京の都市風景を描いた画家として、欠かさずに挙げたいふたりである。

 東京ステーションギャラリーでは、《銀座みゆき通り》のほかにも、荘八のすぐれた作品を所蔵している。
 春陽会以前の作《坂の中腹》(1918年)。

 一見してすぐには状況を理解しがたい、抽象絵画ともとれそうな画面であるが、上部の青空と作品名の助けを得て、荒地の斜面をクローズアップして描いたものだとわかる。さらによくみると、こぶが連なる地形の合間を縫うように、道ができている。
 3年前に描かれた劉生《切通しの写生》(東京国立近代美術館  重文)を思わせる作。

 パンの会の参加者のひとりに永井荷風がいたが、荘八は荷風『濹東綺譚』の挿絵でも知られている。その原画も、本展には出品されていた。
 本展で拝見できるとは思っておらず、興奮。ストーリーを思い浮かべながら鑑賞した。

 このほかにも、石井鶴三による吉川英治『宮本武蔵』の挿絵、中川一政による尾﨑士郎『人生劇場』の挿絵が展示されていた。春陽会展では「挿絵室」も設けられたのである。

 挿絵を含めて、木村荘八に関してはとくに手厚く、荘八好きとしてはたいへんありがたい展覧会であった。(つづく


劉生《竹籠含春》のチケット。かっこいいので、しおりとして使っていきたい。絵柄は数種類あり、ランダムでの配布


 ※東京ステーションギャラリーでは、2013年に木村荘八の生誕120年展を開催している。
 ※「春陽会誕生100年 それぞれの闘い」展の公式ページ


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