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春陽会誕生100年 それぞれの闘い:3 /東京ステーションギャラリー

承前

 すきな画家のいい絵は、岸田劉生や木村荘八だけではなかった。
 とくに、東洋的なモチーフが選択された油彩画、さらに水墨の作品に、よいものがあった。春陽会は洋画のみならず、水墨や素描、挿絵、版画にも門戸を開いていた。

 河野通勢《芝居図》(1923年  府中市美術館)は、油絵具がもりもりと塗り重ねられるとともに、通勢らしい細密な描き込みも同時に成立している。赤と黒を基調とした色遣いも相まって、非常に高密度で堅牢な画面だ。

 下部には観客の頭が見え、上部の赤い帯は緞帳と思われる。左下の白い筋は、花道だろうか。
 舞台を中心に観客を含めた芝居小屋の描写は浮世絵に見受けられるものの、本作ではトリミングの仕方に工夫がある。客席を、最小限にとどめているのだ。客席の存在がなければ、上の緞帳もそれとはわからない。
 そのために、単に遊里を描いた絵かと初見では錯覚し、途中で上下の帯状の描写に気づいて、ようやく観劇を描いたものとの理解に至る。「だまし絵」的なおもしろみが感じられる絵だ。

 萬鐵五郎《魚を運ぶ人》(1919~27年  岩手県立美術館)は、水墨画。
 この頃には、油彩画家としてキャリアを積みながら、水墨や淡彩の技法を用いて南画ふうの絵に挑戦した者が何人かいた。岸田劉生や、この萬鐵五郎がそのひとり。

 墨の濃淡を用いて自在に筆を走らせるさまは、池大雅を思わせる。これほどほうぼうに、遊ぶように筆が駆けまわるのは、油絵具とはまったく異なる筆触に解放感すら覚えたからだろうか。
 軽快な描きぶり、さらに本職が洋画家である点から「余技」「手すさび」と片付けてしまう向きもあろうが、けっして軽視はできない、魅力ある作品だと思った。

 当初は油彩画を描き、やがて日本画に転じた画家もいる。洋画家としては「未醒」を名乗った、小杉放菴である。
 放菴の作品は3点。最初の部屋にあった油彩《双馬図》(1925年  小杉放菴記念日光美術館)は、「描きかけ!?」とつっこみたくなるほどあっさりした描きぶりだが、春陽会展の出品作。しょっぱなから、春陽会の懐の広さをいみじくも感じさせた。
 同じ3階のフロアの最後には 《母子採果》(1926年頃 小杉放菴記念日光美術館)。《双馬図》と時期は近いが、ちゃんと仕上げられているし、サイズも大きい。

 こちらは……油彩画である。
 しかし、近くで観察しても、油彩を使っていると思えないほどやわらかで、べたついた感じがない。非常に穏やか。
 このような油彩画を描く画家が、やがて日本画に転じるというのは非常に納得できる。日本画の道を、往くべくして往った人といえよう。
 下のフロアに展示されていたもうひとつの放菴の作品が《松下人》(1935年  栃木県立美術館)。水墨、二曲一隻の屏風である。
 松の古木が、対角線状に画面を覆う。細い筆先を使った梢の描写は、繊細そのもの。木陰には、唐子に喫茶の準備をさせ、みずからはくつろいでいる高士ふうの人物が、小さく描かれる。
 文人趣味あふれるこの屏風も、春陽会展の出品作。やはり、懐が広い。

 ——本展のサブタイトルに名が挙がり、ポスターにも起用されているのが、春陽会の大家・岡鹿之助。
 会場をまわりながら「なかなか登場しないな……」と思っていたところ、ラストの小部屋に、6点まとめてずらりと紹介されていた。
 リーフレットの絵《窓》(1949年  愛知県美術館)も、そのなかにあった。

 岡の点描による油彩は、穏和なあたたかみが感じられて好もしい。
 《窓》は、窓際に置かれた鉢がシクラメンでよいとすれば、秋口から冬にかけての時期を描いたものとなる。雲のようすからすると、冬寄りかもしれない。
 肌寒さはあまり感じられず、ぽかぽかとしているから、小春日和だろうか。

 故事つけが過ぎるけれど、春の陽のようはあたたかみをもつ岡鹿之助の絵は、春陽会を扱う本展を〆るには、まことにふさわしいものと思われたのだった。
 現在も続く春陽会。本展で扱う範囲を物故作家のみとし、岡鹿之助をトリに持ってきたのは、潔い構成といえよう。
 これにより、かえって、いまの春陽会はどうなっているかが、がぜん気になってきたのだった。来年春に101回めを迎える春陽展で、確かめてみたいものだ。

 ※「春陽会誕生100年 それぞれの闘い」展の公式ページ


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