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いざ北鎌倉 〜宝物風入(かぜいれ):2 /円覚寺・建長寺

承前

 建長寺の風入では、書画の国宝がそろい踏み。
 建長寺の開山を描く《蘭渓道隆(大覚禅師)画像》(文永8年〈1271〉)は、禅僧の肖像画「頂相(ちんぞう)」の代表的作例として教科書でもおなじみ。前回拝見した際はガラスケース越しであったはずで、それが目の前に現れたものだから、のけぞってしまった。
 射抜くような、眼光の鋭さ。頂相とは師から弟子へと与えられる伝法の証だが、絵画にとどめられた高僧のまなざしは、禅の道を往く者でなくとも身が引き締まる思いがするものである。
 隣に掛かっていた《大覚禅師墨蹟(法語規則)》も、まさにそういったもの。弟子たちを諭し・戒めるため蘭渓が残した書で、とくに「規則」では日常の細部にわたるまで定め、罰則も設けている。
 その他、蘭渓を中国から招いた北条時頼の坐像(重文)や室町水墨の五百羅漢2セットなどが展示されていた。

建長寺風入の会場入口

 ガラス板の厚い厚いフィルターを取り去って、手を伸ばせば届いてしまうくらいの距離で目の当たりにする書画は、やはり趣が異なるものである。筆の運びや色み、紙本・絹本といった支持体の経年による質感など、どれをとっても違う。そして、こちらの姿こそが、本来の姿でもある。
 にもかかわらず、このような環境のもとでの鑑賞体験は非常に貴重だ。こうしてじかに観たときに得られた「感じ」をゆめゆめ忘れず、常に心に持っておきたいものである。
 円覚寺・建長寺の宝物風入は、感覚を取り戻すためのよきチューニングの機会となった。

 ——同様の行事は、他の寺院では「曝涼(ばくりょう)」と呼ばれることが多く、いくつかの大寺院では北鎌倉の2寺同様、一般にも門戸を開いている。
 京都・大徳寺とその塔頭で開かれる曝涼は、とくに大規模なものとして知られる。
 こちらはひと足早い10月の第2日曜に開催されてきたが、近年は会場となる本坊の方丈(国宝)が解体修理中のため中断中。塔頭も、本坊に足並みをそろえて非公開。工事の終わる2026年を待つほかなさそうだ。
 高雄の神護寺の曝涼は、「宝物虫払」と呼ばれる。《伝源頼朝像》をはじめとする「神護寺三像」(いずれも国宝)も、このときばかりはガラスケースなしで拝見可能。毎年、ゴールデンウィークの5月1日から5日にかけて開催。
 妙心寺(11月3、4日)や黒谷の真如堂(7月25日)の曝涼も大規模なものだが、コロナ禍以降はあり方も変わっているようで、訪れる際には注意を要する。

 虫干しが目的であるから、天気のよいことが曝涼の開催条件となる。上の各寺院の日取りをみてもそれはうかがえるし、「雨天中止」としているものも中にはある。
 文化の日の鎌倉は、11月とは思えない最高気温25度。上着すら要らなかった。
 蘭渓道隆は晴天に縁が深く、この日のようにスカッと晴れた日和を、建長寺では「蘭渓晴れ」と形容するのだという。
 そう聞いて、あの鋭い眼光が陽光となって降り注いでいる、見守られているということを、独り思うのであった。

建長寺三門(重文)と「蘭渓晴れ」
推定樹齢800年近く、幹の周囲は6.5メートルもある仏殿前のビャクシン(柏槇)

 ※円覚寺のほうは、雨にゆかりが深いという。先日開かれた60年に1度の「洪鐘祭」の日も、雨だった……

 ※ニュースで「統合幕僚会議」と聞くと、複数の大寺院が合同でおこなう大規模な曝涼みたいだな……といつも思う(「統合曝涼会議」←そんなものはない)。

 ※茨城県常陸太田市の古社寺では、近年「集中曝涼」という名称で一斉公開がおこなわれている。集中曝涼……響きだけでもかっこいい。



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