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没後50年 鏑木清方展:3 /東京国立近代美術館

承前

「つかみ」の所信表明

 東京展は「生活をえがく」「物語をえがく」「小さくえがく」の3部構成。
 なかでも「生活をえがく」には最も重点が置かれ、全114点中のじつに56点がこの章に属する(「物語を~」30点、「小さく~」が28点)。清方画の本質を「生活をえがく」ことにあったとする本展の主旨は、構成にもよく表れていた。
 「生活をえがく」の56点は、章の内部でさらにテーマごと、ポイントごとに細分化して展示される。小さな区切りを設けながら、ぶつ切り感や散漫さが出ないよう気を配って展示をするのは、相当に難度の高い芸当なのではと予想できた。
 しかし、やはりというか、わたしの余計な懸念は、端(はな)っから払拭されることとなるのだった。

 冒頭には展覧会の「ごあいさつ」、「生活をえがく」の章解説のパネルが入り、本編はどんな作品からはじまるかというと……《初冬の雨》(個人蔵)と《十一月の雨》(上原美術館)の2幅。清方18歳の若描きと、77歳の晩年作であった。

 回顧展の場合、展示の冒頭を飾るのは、時系列に従って最初期の若描きとなる場合と、画業を代表する作例やよく知られた作品を1、2点ドンともってきて「つかみ」とする場合の、どちらもが見受けられる。今回はそのどちらとも、少しく事情が異なっているようだ。

 2作のあいだには60年弱もの年代の開きがあるが、モチーフとしているのは、まったく同じ――幼き日のおぼろげな記憶のなかにあった「焼き芋屋」の情景である。
 清方の興味・関心、画趣の方向性は、生涯不変といってよいものだった。この2作を並べることによって、まず最初にそのことを提示してみせる。これは「……だからこそ、年代順ではない見せ方が成り立ちうるのだ」というエクスキューズにもなろう。
 万人に好まれるいわゆる「美人画」ではなく、庶民生活をいきいきと描いた引きの構図の作を掲げる点も象徴的。華やかで一見「つかみ」にもってこいの作品を避けて、割合に地味な2点をあえて並べているのだ。
 じつのところ、ぱっと見ではこの2点を選ぶ妥当性が見えてこなかったものだが、18歳の《初冬の雨》の解説を読んだうえで77歳の《十一月の雨》に目を移していくと、「生活をえがく」の冒頭として、さらにこの展覧会の冒頭として、これ以上の最適解はないのだなと理解できた。

 以降、「生活をえがく」内の各々の小テーマは、隣の小テーマとの緩やかな連関性を保ちながら、流れるような展開をみせていったのだった。

 図録では、作品は年代順に収録されている。
 モチーフの選択にかぎらず「生涯不変」な部分の多い清方の作品は、年代順に見ていってもむしろ差異を認めづらく、展示としてもメリハリがつけづらいところがあるのかもしれない。図録をめくりながら、そう思った。
 年代順に並べる京都展では、どのような展示上の工夫がみられるだろうか。見ものといえよう。(つづく



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