没後50年 福田平八郎:1 /大阪中之島美術館
日本画家・福田平八郎(1892~1974)には、その名前とセットで思い出される名作がある。《漣(さざなみ)》(1932年 大阪中之島美術館 重文)である。
寄せも返しもしない、同心円状の波文すらない……微風に揺らぐ静かな水面を切り取っただけの画面は、日本画に革新をもたらした。
平八郎は基本的に京都の作家であるが、縁あって、大阪中之島美術館がこの代表作を所蔵している。ゆえに同館としては、平八郎の大回顧展をいずれは企画する使命があったといえよう。
関西での回顧展は、京都国立近代美術館「福田平八郎展」(2007年)以来、じつに17年ぶりという。当時、大阪中之島美術館は存在すらしていなかった。一昨年、悲願のハコモノができて、今度は大阪の番。
平八郎ほどの作家の、没後50年記念展である。しかも彼の作品には、現代的な感覚にも訴えやすいところがある——というか、どこか “映(ば)える” 感じの絵が多いから、若者受けはたやすかろう。
となれば、大阪を皮切りにして全国の主要都市を巡回させたいはずで、東京展は間違いなく組まれていると踏んでいたけども、そうは問屋が卸さなかった。
大阪展が5月6日まで、そのあとすぐに5月18日から7月15日まで大分県立美術館に巡回して、終わりなのである。本展は、大阪と大分でしか観られない。
そういえば、3月まで九州国立博物館で開催されていた「生誕270年 長沢芦雪」展も大阪中之島美術館からの巡回で、関東会場を含まない2館のみでの開催であった(このときも、わたしはまんまと騙された)。
さては「東京ハズし」を意図的にやっているな……などという恨み節は、関西へ行く口実ができたのだから、まぁよしとしよう。前々回・前回とお送りした幸せな大和路紀行だって、この福田平八郎展がきっかけなのだ。
開館に合わせ、10時前にJRの福島駅へ到着。大阪中之島美術館の真っ黒な箱(ほんとにそんな感じ)を目指して歩いていくと、黒山の人だかりがだんだんと目に入ってきた。
「平八郎、すごい人気! さすがは地元・関西!」
そのように思ったものだが、またもやこれも、とんだ見当違い。
平八郎の上の階で「モネ 連作の情景」が開催中だったのだ。昨年10月から今年の1月まで、上野の森美術館で開催されていた展覧会の巡回。行列の9割以上は、モネがお目当てだったのである。平日だというのに、上野公園で出くわした大行列に負けずとも劣らない混み具合だった。
モネ展とは来館の目的が異なる、少数派のわたし。係員さんの「福田平八郎展をご覧の方はこちらです」との声に誘導され、幾重にも連なった大行列をごぼう抜きしてエスカレータへ進むことができた。モネ展に並んでいた人たちからすれば、VIPかなにかにみえたことだろう。
ところで、なぜ、大阪の次が大分か。
先ほど、わたしは「地元・関西」とさらっと書いた。たしかに、平八郎は京都に学び、長く住んだ関西画壇の人であるが、出身は大分県大分市。実家に画室を構えた時期もあり、故郷とのつながりは晩年まで深いものがあった。
そのため、大分県立美術館には、平八郎の作品や下絵・素描などがまとまって所蔵されている。本展にも、大分県美の協力なくしては成り立たないほど、多くの点数が借用されていた。
とくに、画業の初期にあたる作品は、ほとんどが大分県美の所蔵品なのであった。(つづく)
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