見出し画像

没後50年 鏑木清方展:9 /東京国立近代美術館

承前

画帖『築地川』:番外編「獺(かわうそ)化ける」

 画帖『築地川』全10図のうち、唯一のフィクションと思われる異色の一枚が、第6図「獺(かわうそ)化ける」。
 築地川に架かる橋には、カワウソが女性や船頭に化けて出現するという言い伝えがあり、清方こと健一少年も祖母から聞き及んでいた。

 存外にずんぐりとはしておらず、すらりとしたプロポーション。こうして人に化けたとしても、「夜目、遠目、傘(笠)の内」そろい踏みの状況であれば、かなりいい線をいっている。いかんせん、尻尾が目立つのでバレバレではあるのだが。

 「船見橋」とはどこだろうか。

(中央区立図書館「<図解>中央区には橋がいっぱいあった」より転載)

 「築地川」とあるところは、ほぼそのまま首都高となっている。築地川の支川や入船川は、埋め立てられて一般道に。
 采女橋の西側が新橋演舞場、万年橋の北側が歌舞伎座で、これらの橋は現役。亀井橋のところには夏に水泳場が設けられたというが、いま飛び込んだら交通事故だ。
 築地橋の南側が、現在の東京メトロ新富町駅。築地橋を渡った右手には、関東大震災まで「江戸三座」の流れを汲む新富座があって、歌舞伎座との双璧であった。「幽霊橋」こと船見橋は、新富座の東側にあった。

 清方の文章を読んでいくと、「獺化ける」のエピソードについて何度か言及があって、そこには「南船見橋」「采女橋」の名も出てくる。

 いったいに築地の夜はさみしかったが、とりわけ今の演舞場の傍の采女橋と、この南船見橋とは獺(かわうそ)が出るといって、日が暮れると一人あるきは気味が悪く……

鏑木清方「築地川」(昭和9年)

 演舞場のうしろにある采女橋、新富座の裏手にある南船見橋は、どちらにも水陸両棲の怪しい獣類の潜むところと、すずみ台での話の種になった

鏑木清方「失われた築地川」(昭和37年)

 ツイッターにある解説文は、清方自筆の詞書に即した内容となっている。画帖『築地川』の詞書をみてもたしかに「船見橋」となっているし、そもそも「南船見橋」という名の橋は他の記録には見当たらない。清方の記憶違いか、新富橋あたりの地元での俗称がそうであったのだろうか。

 船見橋の架かっていた入船川は埋め立てられ、新大橋通りとなっている。
 面影はむしろ、同じくカワウソ出没伝説の残る采女橋のほうがまだ色濃いかと思われる。

右が「新橋演舞場」、旧築地川の溝を挟んで隣の大きなビルが「国立がん研究センター」。橋脚を見ると、古い橋であることがわかる
昭和5年10月竣工。橋の下が高速道路になったのは、昭和37年。柵は後づけ

 この下を、カワウソの船頭が漕ぎ進んでいった(とされる)のである。
 正体がばれると、カワウソはどぼんと川へ潜り、姿をくらましたという。
 いま、川の水はない。カワウソは、どこへ消えてしまったのだろうか。(つづく)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?