見出し画像

藤牧義夫と館林:3 会場と展示 /館林市立第一資料館

承前

 館林市立第一資料館のある館林城址には、他にも市役所、文化会館、市民ホール、図書館が密集。官庁街と文教地区が合わさった、館林市の「公」を象徴する地域となっている。その図書館の隣接地にある豆腐に似たコンクリート製の箱が、館林市立第一資料館だ。
 図書館とは別棟ながら資料館専用の外部入り口はなく、室内で接続されている。まるで、校舎から渡り廊下を伝って体育館へ行くよう。空港のビルから直接飛行機に乗りこむようでもある……あまりみかけない、ユニークなつくりだ。
 この資料館が9時という珍しいほど早い時間にオープンする理由が、行ってみてわかった。図書館の開館時間に合わせていたのである。

 今回の展示では、その豆腐の1階と2階がまるまる使われていた。ウェブで見たはにわも気になっていたが、彼女を含む常設展示の資料は引っ込められて、全スペースを藤牧展に充てたもよう。
 下調べの段階では「図書館のなかにある」ということだったので、そう広くはないのかな、点数は多くてもぎっしり並べるスタイルかなと踏んでいたものの、内部は適度な広さがあり、資料・作品どうしの間隔もきつくなかった。
 窓らしい窓がないおかげで(それがまた豆腐らしい)、室内が薄暗いのもかえってよかった。小さな判型の版画や長い絵巻をじっくり観るには、すべてを均質化する光にあふれた真っ白な空間よりも、こちらのほうが適している。紙の質感や陰影が、よく伝わってくるからだ。

 1階は、生い立ちから図案家としての修業、版画家デビューを経て帝展入選まで。2階ではそれ以降――失踪までを扱う。作家の回顧展らしい、オーソドックスな時系列の構成となっている。
 そういったなかでもやはり、「藤牧義夫と館林」という看板のとおり、血縁者や友人の家に伝わった作品・資料が中心となっていたのが印象的であった。
 藤牧義夫は、わずか24歳で姿をくらましている。16歳で上京して勤めに出ていたとはいえ、その交友関係はまだまだ広いといえるものではなかっただろう。縁者といえる範囲は、版画仲間や仕事上のつきあいでなければ、ほとんどが郷里・館林に連なる人物に限定されたはずだ。
 つまり「館林の人」としての藤牧義夫を知ることで、「画家・藤牧義夫」の像もよりくっきりと結ばれてくる余地が大いにありそうなのだ。
 同じ「館林の人」のなかでも、藤牧義夫の人間形成に最も影響したと思われる重要人物が、父・巳之七である。本展でも巳之七の遺品に多くのスペースが割かれており、それが本展を強く特徴づける一要素ともなっていたのだった。(つづく

 ※本展の開催情報をキャッチした当時の、熱い興奮と期待が込められた記事はこちら(1月16日、開会の6日前更新)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?