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藤牧義夫と館林:2 故郷での110周年 /館林市立第一資料館

承前

 前回・生誕100年の回顧展の会場となった群馬県立館林美術館は、同じ市内とはいっても館林駅のひと駅先・多々良駅から20分ほど歩いた郊外に立地している。
 多々良沼と田園の真ん中にガラス張りのモダーンな巨大構造物が現れ、中にはポンポンのシロクマがいる……白昼夢でもみたようなホワイトキューブの展示空間だ。一度だけうかがったことがある。
 個人的にはすきな美術館だけど、都会の憂愁や影を感じさせる藤牧作品にはあまりそぐわないようにも感じる。

 館林駅は、館林城とその城下町の玄関口となっていて、今回の生誕110年展の会場・館林市立第一資料館は城跡の上に立っている。住所は「城町」。
 藤牧義夫はもと館林藩士の家の出で、生地は城下の武家地。こちらも同じ「城町」にあった。館林城は目と鼻の先だ。
 すなわち、今回に関しては、藤牧義夫が生まれ育った環境にごく近い場所で、作品や資料が観られるのだ。生家の跡や母校、それにお墓といったゆかりの地を一緒にまわることだって、できてしまう。

 幼少期の生い立ちや故郷との関係と、長じてからの画風・作品傾向とのあいだにどれほどの相関があるかについては、作家によってはかなりおぼつかないケースも多いように思われる。ある地域、ある時代に生まれた作家の作品を集めたとて、なんらかの共通性が見出せるのかといえば、そんな保証はないのだ。
 それに、藤牧義夫の代表作として紹介されるものの多くは、東京で、東京の風景を描いた作品ではある。《隅田川絵巻》しかり。
 しかしながら、藤牧義夫の場合は、24年という短い生涯のうち最初の16年を館林で過ごしており、上京後も血縁関係や地元の友人とのつながりを持ち続けている。その筋に伝来した作品や資料も多い。
 そしてなにより、画業においても精神や信仰の面においても、父・巳之七からの影響が絶大であった藤牧義夫にとって、館林という地はやはり特別な故郷であったに違いないのだ。
 そのようなバックグラウンドをもつ作家を知ろうと思ったら、現地に行ってみるのがいちばん。しかも今回は「藤牧義夫と館林」と題する展覧会。地元とのつながりにも重点がおかれている、ならではの展示となるのだ。(つづく



 ※館林市立第一資料館「藤牧義夫と館林」展のホームページ


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