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藤牧義夫と館林:1 /館林市立第一資料館

 藤牧義夫(1911~35?)は、館林出身の画家。
 昭和初頭のわずか4年ほどの期間に「自刻・自摺」の創作版画で異才を発揮したものの、24歳の若さで謎の失踪を遂げた。姿をくらます前年には、肉筆・白描による総長60メートル超にも及ぶ大作《隅田川絵巻》を残していて、これまた謎が多い。

 村山槐多、関根正二をはじめ、日本の近代美術史上には「夭折の天才画家」と称される魅力的な画家が何人かいる。
 彼らはその太く短い、伝説化された生涯ゆえに評価されるのではなく、そういったドラマから引き離して直観的に作品を観たとしてもなお当然のごとく強烈な光彩を放つからこそ、現代にもその名や作が残っている。それは、疑いようがない。
 藤牧義夫もまた、彼らに負けず劣らずのドラマをもち、かつ好事家の感興を惹いてやまない未解決のミステリーをもかかえてはいるのだけれど……なにより、その作がいいのだ。
 はっきりいって、版画から受ける印象と絵巻から受ける印象はかなり異なる。逆にいえば、同じひとりの作家――しかも、二十歳やそこそこの青年がこれほどの表現の幅と力量をもっていたという事実は、素直に驚嘆に値する。槐多や正二らに比肩する位置に藤牧義夫が据えられても、なんら違和感はない。それほどの画家だと思う。

 しかし、藤牧義夫の評価は遅れているといわざるをえない。生誕100年の際に大規模な回顧展が郷里・館林の美術館と近代美術研究のメッカ・神奈川県立近代美術館(当時は「鎌近」)で催されたものの、現在もいまだに「知られざる」「知る人ぞ知る」という枕詞を戴いて紹介されるような位置づけだからだ。
 藤牧義夫の名前を人に挙げても、手ごたえのある返しは期待薄。《隅田川》の画像を見てもらって、ときおり「見覚えがある」人もいるというくらいである。哀しいことに。

 そして今年、メモリアルイヤーがまためぐってきた。今年2022年が、記念すべき生誕110年めである。
 このたびの回顧展の会場は、館林市立第一資料館。巡回はなく、生まれ故郷・館林での単館開催となった。(つづく

 ※館林市立第一資料館「藤牧義夫と館林」展のホームページ


 ※「藤牧義夫と館林」展との〝出逢い〟については、こちら


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