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出逢いはいつも突然に 藤牧義夫の回顧展:1

 「いきなりなんのこっちゃ」というタイトルだが、話は単純。
 いつものようにツイッターで展覧会情報を集めていたら、こんな見出しの記事にぶち当たったのだ。

作品も生涯も「ミステリアス」 版画家・藤牧義夫を探る企画展

(1月14日付の毎日新聞より)

 藤牧義夫の生誕110年記念展が、故郷・群馬県の館林ではじまる。
 不肖ながらこの展覧会の存在をまったく捕捉できておらず、あっと驚いてしまった。そして、この情報をキャッチしてからというもの、わたしはずっと上機嫌だった。

 藤牧義夫に触れていくにあたって、まずは《赤陽》という作品をご覧いただきたい。

 都会の喧騒と憂愁が殴り書きのように刻みつけられており、鬼気迫るものすらある。

 藤牧義夫は、昭和はじめのごく短い期間に制作をおこなった版画家。都会や下町のなにげない風景をモチーフとした。
 《赤陽》は画業の最終期にあたる時期(1934年)のもので、代表作として挙げられるものの、やや異質。
 このような激しい情念のこもった作風の前は、単純化し、ときに膨張させるようにデフォルメした穏健な形態、独特な着想の構図で都市風景を描いていた。

 ・《御徒町駅》(1932年)
 ・《白ひげ橋》(1933年)
 ・《鉄の橋》(1933年)

 ・《》(1933年)

 モダーンで、素朴な感じもする。それでも、どこかうら寂しいところはずっと変わらない。

 ――察しのよい方はお気づきかもしれない。藤牧義夫が活動した「ごく短い期間」とは、5年にも満たない期間だ。
 藤牧義夫は、24歳で死んだ。
 おそらくは……

 断定できないのは、失踪したまま、現在も行方知れずだから。
 藤牧の失踪をめぐっては、近年になってフィクション/ノンフィクション両面から分析・紹介されている。美術はあまりという方でも、ミステリーがお好きならばぜひおすすめしたいところ。

 こういった逸話の興味深さはあれど、そもそも、二流画家では話が成り立たない。
 藤牧の場合、上に挙げたような版画作品だけでも魅力的なものだけれど、それ以上に人を虜にしてやまない、もうひとつの代表作がある。
 それが、隅田川沿いの風景を淡々と描いた《隅田川絵巻》。藤牧はこの長大な画巻を、失踪の前年までに完成させていた。(つづく

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