見出し画像

藤牧義夫と館林:4 父・巳之七 /館林市立第一資料館

承前

 息子が、同性の最も近い大人である父親からなんらかの影響を受けるのは、普通といえば普通のこと。けれども、藤牧義夫による父・巳之七への執着は、いささか異常な域に達していた。

 巳之七は、教員のかたわら「三岳」という号で書画をたしなむ、文人気質の人だった。還暦手前の巳之七のもとに、四男七女の末っ子として生まれたのが義夫。手先が器用で、絵の上手な少年だった。溺愛のほどが想像できる。
 13歳の秋に巳之七が病没すると、義夫は敬慕してやまない父の追善のため、一大プロジェクトを立ち上げる。
 父の事績、ゆかりの地、父との思い出などの記録と、手がけた書画、愛蔵品などを集成して、世界に一冊だけの手製の本としてまとめようと考えたのである。近親や知己に資料提供の依頼状をしたため、みずから現地に赴いて取材を敢行するなど、その仕事ぶりは書籍の編集者顔負けといってよい。
 こうして完成した300ページにもなる分厚い『三岳全集』と図版中心の『三岳画集』は、手のこんだ装幀の洋装本。中学生の自由研究のレベルなど、とうに超えている。
 2冊とも展示に出ており、このうち『三岳画集』の全ページの画像が、会場内のディスプレイに順に投影されていた。漫画ふうの軽みある筆致で、密に書きこみ・描きこみがなされている。その一節をここに抜粋。

父父父父父父父父父父父父父父父父父父父父父
父父父父父父父父父とよんで見たい程の今今だ
さびしく何の楽も見ずあの世に去つて行つてしまつた父
を想ふとも少し生きて居てくれればよかつたになー

『三岳画集』より

 義夫はこの2冊を、失踪まで肌身離さず携えていたという。

 ――義夫が生活を送った東上野の自室の写真が、パネルで展示されていた。
 自室の壁一面を覆うほどの、大きな大きな父の顔の絵。その脇の机の上には簡易的な祭壇らしきものをしつらえ、同じ図像の小さな父の顔の絵が、礼拝対象として奉られている……
 『三岳全集』や『三岳画集』、それにこの写真をしかるべき専門家に精神分析してもらったら、どんな見解が出されるだろうか。作品にもつながる人格の深奥が覗けそうで、興味深い。(つづく)

 ※自室の写真パネルは2階の展示室にあったが、1階の巳之七の書画・遺品の展示スペース周辺に掲げてあればもっとインパクトが強かったのではと思われた


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?