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みほとけの像、裏から見るか?横から見るか?

 東京国立博物館で「空也上人と六波羅蜜寺」展が開催中である。
 たいへんな混雑と聞いていて、じっさいに予約サイトを見ると軒並み「×」、8日の閉会まで全日の全時間帯が埋まっていた。
 じつは4月中から予約状況を日和見していて、数日前までは受付可能な時間帯がまだ残っていたところ、この盛況。さすがはゴールデンウイーク。

 本展の主役は、なんといっても《空也上人立像》。社会科の教科書で広く知名度を誇るお像を、360度・全方位から鑑賞できることが売りとなっている。
 口から化仏(けぶつ)を出す造形は、見ようによってはコミカル。親しみやすさに傑出したものがあって、ふだん博物館やお寺には足が向かないという方の興味をひくことができる。
 お像じたいのインパクトの強さ、そして誰の記憶にも刻まれているという点で、《空也上人立像》のビジュアルイメージはきわめて強靭。これを上回る強さをもつのは、興福寺の《阿修羅像》くらいではなかろうか。

 東京国立博物館「国宝 阿修羅展」の熱狂は、2009年にさかのぼる。入場者数は四捨五入すれば100万人、仙台市の人口に届くかというほどで、日本美術の展覧会としては史上最多、世界規模で見ても、この年最も多くの人が観た展覧会となった。
 わたしは、この展覧会に行っていない。
 かねてより人混みを厭う傾向のあったことと、奈良の現地に行けば、押し合いへし合いすることなく鑑賞できるだろうと踏んだことが、熱狂から距離をおいた最終的な理由。
 それでも、悩ましい点があった。例の「360度」である。

 「阿修羅展」と今回の「空也上人と六波羅蜜寺」は、状況に似たところがある。
 寺内に新しい展示施設を整備中のため、強靭なビジュアルイメージをもつお像が東博へ出開帳。東博では大変な混雑となるが、後日現地に行けばゆっくり観られると思われる。現地へのアクセスも悪くなく、訪ねやすい。東博では360度の鑑賞が可能……といったところが、共通しているのだ。
 六波羅蜜寺の新たな宝物館「令和館」は、東博の展示作が京都に戻ってすぐ、なんと今月末の開館。もともとの古めかしくて「らしい」感じの宝物館の展示内容は、今回の東博とほぼ同じだったと記憶している。作品じたいは、今後も同じものが観られるはず。
 そうなるとますます「360度」が焦点となる。令和館の概要はまだ判明していなくて、360度鑑賞可能な展示となる保証はないのだ……

 ――ある信心深い人のいうことによると「お像を、側面や背面から見るのは好ましくない」。
 仏像は、正面から礼拝するものとして造形され、数百年単位の長い時間、そうして拝み奉られてきた。それは厳然たる事実だから、一理ある。ひとつのスタンスだろう。
 わたしの場合は、信仰心よりも美的鑑賞欲と知的興味がまさってしまう不心得者ゆえ、みほとけの横顔を飽かず見つめ、裏側の細部にいにしえの工人のまじめな仕事ぶりを確かめるに躊躇がなく、素直に感興をいだく。少しばかりの「かたじけなさ」を感じつつも。
 このページでは、幾度となく「本来の」「本来的な」という語を使用してきた自覚があるが、原初の姿にもとづいたり、近づけたりといったことが、すべてではないだろうとも思っている。細部や側面、それに裏側からの鑑賞にも、意義はある。
 そのように感じるからこそ、「阿修羅展」のときと同様に、「空也上人と六波羅蜜寺」展に行こうか行くまいか迷ってしまった。
 そうこうしているうちに、やはり「阿修羅展」と同じく……逃してしまったのであった。

 これもある種の縁と受けとめて、おとなしく、京都で拝見するとしようか。




 

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