没後50年 福田平八郎:3 /大阪中之島美術館
(承前)
写実表現の部屋を抜けたところに、あの作品が現れた。《漣(さざなみ)》(1932年 大阪中之島美術館 重文)。
昭和7年(1932)、平八郎は恩師からの誘いをきっかけに、魚釣りに没頭。釣りは生涯の趣味となり、しばしば制作の着想源ともなった。
《漣》は、釣りを始めた同年、琵琶湖の湖面を見つめながら、ふと着想に至ったもの。釣果のほどは芳しくなかったようだが、水面のおもしろさを発見できたことは、違った形で発現したビギナーズ・ラックとでもいえようか。
使われる色は、群青ただ1色。濃淡の差は、ほとんどつけられていない。
水に流れがあり、波が立つのであれば、濃淡は有効な表現手段となろうが、これは「さざなみ」。瞬間的で微細な変化を、独特な線描によって捉えている。
ほんとうに、独特な線である。個性だとか様式だとかを超えた先にある……本来は最初からそこにあったはずの「水」の姿を、我を忘れて愚直に示そうとしたのであろう。
乱反射する水面のきらめきは、筆だけでなく、地によっても表されている。
本作の地は、写真では白い紙のようにみえるが、金地の上にプラチナ箔が張られたものだ。じつは間近で拝見しても、やはり白い紙に思えてしまったのだが、それくらい「ギラギラ」は抑制され、かすかな輝きにとどめられている。
本作に関しては、表具師に銀地を発注したところ、聞き間違いにより金地が届いてしまったため、急遽その上から銀地を張りなおしてもらった……といった裏話が伝わっている。
会場には、銀地の上に試し描きしたものが出ていたが、ギラギラとまぶしすぎた。「金をプラチナで覆う」という特殊な地の処理によってこそ、シンプルな線描を阻害せずに、湖畔の風光が表現しきれたのだ。
《漣》とそのデッサンの周辺には、同様の表現がみられる他作品やデッサンの類を集中的に展開。
水面のみを描いた完成作品は、《漣》の他に《水》(1958年 大分県立美術館)だけとされてきたが、展覧会準備の過程でさらにもう1点の《水》(1935年頃 個人蔵)が新発見。
3つの水面が展示室に集結し、それぞれを見比べることができた。
※本展は毎日新聞社の主催事業。《水》発見のスクープは2月14日に報じられ、展覧会は3月9日に開幕した。
特徴的な水の描写が、鳥や魚など他のモチーフとともになされる例も提示されていた。
《鴨》(1935年頃 大分県立美術館)は、たぷたぷ揺れる水面にぷかぷかと浮かぶ、つがいのカモを描く。執拗な細密描写はすでになく、面的な捉え方となっている。カラリストとしての才覚もよくうかがえる。
斑状の光の反射は、クラゲでも浮かんでいるかのよう。これが2羽のカモやその影のかたちと呼応して、リズミカルな視覚効果を生み出している。楽しい作品だ。
——平八郎の作品では、水の描き方ひとつで、そこが海か川か、池か湖かなどを、受け手が感覚的につかむことができる。
そして、鑑賞者は同時に
という納得を、たしかに感じられるのである。
ほんの数年前まで、平八郎が突き詰めていた「微に入り細に入り」の写実とは異なる形ではあれど、これもまたひとつの写実といえるのだろう。
どちらの写実にしても、その基盤をなすのが徹底した観察と素描であるという点は、ずっと変わらないのであった。(つづく)
※銀は酸化すると黒ずんでしまうが、プラチナにはその心配がない。
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