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生誕150年 池上秀畝 高精細画人:1 /練馬区立美術館


「池上秀畝って、誰よ??」
「漢字、読めない!!!」

 そんなふうに感じた、そこのあなた。
 無理もない。池上秀畝(しゅうほ  1874〜1944)は、生前はともかく、没後長らく等閑視されてきたマイナーな画家だ。生誕150年を機に、その顕彰と復権に努めんとするのが本展である。
 まずは騙されたと思って、本展のPVを下のリンクから再生してみてほしい。ほんの33秒の短い動画だ。

 ……カッコいい。
 絵については部分図が多く、それぞれが一瞬なので正直よくわからないけれど、ただただカッコいい。あえていえば「無駄にカッコいい」力作映像となっている。「高精細画人」という新たなコピーも、エッジがきいている。

 こうまでしなければ、いったんついてしまった「マイナー画家」、そして「旧派」のレッテルは剥がせまい。
 じつのところ、わたしも、年間スケジュールが出た時点では「うーん、秀畝か……」と尻込みモードだったのだが、このVによって俄然興味が湧いてきた。
 というか、そもそも、秀畝のことを認識できている人のほうが、世間的にはかなり少数派のはずである。それ以外の多くの方々が、「秀畝=旧派の人」という固定された先入観なしに、本展によって秀畝を初めて知るのだとすれば、この上ない顕彰といえるのだろう。

本展リーフレット。このあとの巡回先・長野県立美術館バージョンは黄色→ピンクとなっている

 展示の冒頭では、プロローグとして、秀畝と菱田春草の作品各1点が対置されていた。
 旧派の秀畝と新派の春草は、ともに明治7年(1874)生の同い年、同じ信州の出。春草は9月に飯田(現・飯田市)で、秀畝は翌月に高遠(現・伊那市)で誕生している。地理的にも非常に近い。
 だが、画壇で交わることはなかった。秀畝は画塾という前近代的な徒弟制度、春草は美術学校という近代的教育制度のもとで画技を身につけ、旧新それぞれの画派を背負って立ったのだ。

 現代においては、いわば「駆逐された側」となってしまった秀畝という画家に関して、まずは知ってもらおうというのが次の展示スペース。官展の出品作など、秀畝の真の実力を示す入魂の大作がデンと並んでいた。大正中頃までの、画業の初期から前期に属する作である。
 《四季花鳥》(1918年  長野県立美術館)は、高さ239.4センチの大幅(たいふく)。軸装を入れると、展示ケース内にぎりぎり収まっている状態。
 それが春夏秋冬で4幅あり、いずれも極彩色で、地には金や銀が施される。居並ぶさまは、まさに圧巻であった。

 多種類の花鳥が、これでもかと書き込まれている。それぞれが思い思いに繁茂し、生命感を誇示する……じつに活気にあふれた画面だ。
 また、背景の金銀に関しては、色調や処理を各幅で変えており、各場面の違いが引き立てられてもいる。
 桃山の金碧障壁画が念頭に置かれたというが、酒井抱一など江戸琳派の四季草花図のイメージもあっただろうか。豪壮さと繊細さが入り混じる、パラダイスの情景である。

 《晴潭(紅葉谷川)》(1914年  田中本家博物館)は、清らかな溪谷の秋を描くダイナミックな作。
 奥行きを感じさせる岩壁の描きぶり、右隻でこちら側に大きく迫る木々の表現に、画家の力量のほどがうかがえよう。
 屏風の前に立っていると、舟下りに興じている錯覚をいだいた。洞窟の奥へ、漕いで行ってみたい。

 ——これらは、いわば “挨拶代わり”。
 なかなか強烈な、最初の一手である……(つづく


本展入り口の看板。非常に目立つ



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