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「埼玉の日光」妻沼聖天山 :4

承前

 熊谷の西隣は深谷で、渋沢栄一の生まれ育った血洗島も同じ利根川沿岸だ。
 追われる身であった一時期、血洗島周辺に近寄れなかった渋沢栄一は、妻沼聖天山の境内で親族と落ち合ったのだとか。渋沢家の縁戚の者が寄進した石灯籠も残っていた。

石灯籠の台座の奉納銘

 このタイミングでこのような記事を更新すると、まるで妻沼聖天山に初詣に行ってきたかのようだが……参拝したのは年末で、ちょうど大河ドラマ『青天を衝け』の最終回が放送されるまさに当日だった。
 「青天」と「聖天(※こちらの読みは「しょうでん」)」ということもあり、奇縁めいたものを感じなくもないけれど……おあいにくさま、わたしは大河ドラマの視聴者ではなかったのだった。

象の象……でなくて像。
コンクリ仏像も、わたしの大事なテーマのひとつ

 利根川の堤はすぐそこで、向こう岸は群馬県の太田。
 古代にはこの沿岸に無数の巨大古墳が築かれ、はにわの優品もこの界隈の出土であったり、その伝をもつものがきわめて多い。
 単体では唯一の国宝のはにわ《挂甲(けいこう)武人》(東京国立博物館)は、妻沼から北上すること8キロ、対岸の太田市にある長良神社の境内で出土したものだ。

 妻沼聖天山の本殿と《挂甲武人》。利根川をはさんで生まれた2つの国宝に思いをはせながら、逆方向の熊谷駅へ戻るバスに揺られるのであった。

※熊谷の東隣・行田のさきたま古墳群、その博物館で開催中の「動物のはにわ」展にも行きたかったが、タイムアップ。そもそも無理なスケジューリングだったなと痛感。こちらにはぜひリベンジしたい




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