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生誕120年記念 黒田辰秋 /ZENBI-鍵善良房-KAGIZEN ART MUSEUM

 八坂神社の門前、何必館と同じ並びに立つ老舗和菓子店「鍵善良房(かぎぜんよしふさ)」。
 奥の喫茶室で提供されている「くずきり」が大の好物で、夏の京都へ寄る機会があれば、万難を排して賞味に向かう。
 今年も、やってきた。信号待ちを除けば、何必館を出てわずか1分でのハシゴであった。

 吉野葛のくずきりは、もちっもち。
 いっぽうで、ねっとり・しつこくはない。くずきりを浸す蜜はもちろん甘いが、甘ったるくはない。
 これが、京の味。

 ※黒蜜と白蜜が選べる。いつも白蜜

 わたしは、これほどまでに「ひんやり」とした食べ物を他に知らない。しかも、ひんやりは最後の1本まで持続する。
 その秘密は、漆の容器にあるのだろう。

 蓋を開けると蜜入りの黒い中子(なかご)が現れ、外せば白魚の泳ぐさまか、天女の羽衣かといった具合で、くずきりが冷水を漂っている。そこから箸で掬って蜜に浸し、つるりといただく。

 冷水にはゴロッと大きな氷が入っていて、これがなかなか融けないし、蜜は適度に冷やされる。外側が結露して汗をかくようなこともない。漆器の特性ゆえだろう。

 このうつわには “原作” がある。
 祇園生まれの木漆工芸作家、人間国宝の黒田辰秋(1904~82)による《螺鈿くずきり用器》。

 「信玄弁当」と呼ばれる3段の容器を参考に12代店主の今西善造が発注、辰秋がみごとに応え、実用性・機能性と美しさを兼ね備えたうつわを生み出した。
 辰秋、ときに27歳。善造も辰秋と同じ年の生まれである。

 この辰秋作の《螺鈿くずきり用器》は、昭和40年代頃まで、現役でガンガン使われていたのだとか。
 もちろん、いまは叶わない。
 くずきりをすすりながら、いつも思う——悔しい。別の時代に生まれたかった……けど、美味い。

黒田辰秋《螺鈿くずきり用器》(1932年)。大きさは現行モデルとほぼ同じ。螺鈿が一部剥がれているものもあり、実用のほどがわかる
開けたところ。手前の小皿には干菓子を乗せる。蓋表は「鍵」「善」「良」「房」の各文字と鍵紋の5種
左は専用の岡持、後方は《赤漆宝結文飾板》(1932~35)。ショーウィンドウを飾るディスプレイとしてつくられた

 同い年の辰秋と善造——ふたりのつながりによって制作された、あるいは蒐められた逸品が鍵善には数多く残されており、辰秋の作家歴をたどるうえで、欠くことのできない重要な作品群となっている。
 辰秋の生誕120年を記念し、鍵善が開いた小さな美術館「ZENBI」にて、それらを一挙公開する本展。辰秋《螺鈿くずきり用器》を写した上のカットは、ZENBI・2階での展示風景である。

 リーフレット記載の会場はZENBIに違いないけれど、歩いて5分ほどの鍵善の店舗こそが、実質的な “第1会場” と思う。
 くずきりをいただいた喫茶室の手前、表通りに面する店舗内に、まだ無名だった頃の《拭漆欅大飾棚》(1932年=こちらのページの画像)が据えつけられているのだ。こちらは、現役で使用中。
 地に根を張るかのように重厚な存在感。じっさい、相当な重量のはず。押してもまず動かないだろうなと思うし、どうやって運んだのだろうと不思議にもなる。
 この大作が、作家・辰秋と依頼主・善造の長く続く関係のはじまりとなった。そういう意味でも、ZENBIより先にこちらを観ておきたいところであろう。
 店内では他にも辰秋の作品がさりげなく使われたり、飾られたりしているし、喫茶室のレシートを提示すれば、ZENBIの入館料が割引になるおまけも。

ZENBIのエントランス


 《螺鈿くずきり用器》にみられるように、辰秋初期の螺鈿作品には、文字や卍などの記号を意匠化したもの、また螺鈿の1ピースが大きいものが目立つ。
 こういった点は李朝の螺鈿細工に大いに通じており、民藝運動の顕著な影響下にあったようすがみてとれる。

《螺鈿卍文蓋物》(1927年)。鍵善良房が所蔵する辰秋作品のなかでは最古。李朝の卵殻貼(らんかくばり)を彷彿させる螺鈿の使い方
《拭漆欅宝結文マッチ入》《拭漆欅宝結文莨入》《拭漆莨盆》(1930~39年)。鍵善良房所蔵の辰秋作品では、上の蓋物に次ぐ古さ

 鍵善の辰秋作品は、こういった初期の作品にとどまらない。晩年の作までまんべんなく、じつにさまざまな大きさ、形状、機能、素材の作品が所蔵されている。螺鈿から拭漆まで。変わり種としては箸、茶杓、陶器の楽茶碗すらある。
 本展は年代順の内容とはなっていないが、造形がさらに自由に飛躍していく戦後の作にも惹かれるものが多かった。

《朱四稜茶器》(1955~64年)
《耀貝螺鈿茶器》(1965~74年)。螺鈿が複雑な反射をみせる本作は、自然光が差し込む位置に展示。ケースのまわりをぐるりとまわって、変化ぶりを楽しむことができた
《蔦金輪寺茶器》(1961年頃)。室町時代の作例が本歌。すぐれた素材のもつ力をそのまま活かした、かんたんなようでむずかしい、究極のかたち
《書「運鈍根」》(1960~69年)に《朱溜花文茶器》(1965~74年)を取り合わせ。額も辰秋の作
《溜塗欅大平椀》(1965~74年)。口径14.3センチの大ぶりな椀。添えられた箸も、辰秋の作と伝わる。この椀も箸も、楽茶碗にしても、大ぶり。辰秋自身も大柄だった


 ——黒田辰秋の回顧展は、これまでに幾度も開かれてきた。
 主要な図録をめくって見較べると、出品作は大部分が重複していて、所蔵先が「個人蔵」とされているものが多数あることに気づく。
 そのうちさらに多数が鍵善の所蔵品で、このたび求めたZENBI開館記念展の図録『黒田辰秋と鍵善良房-結ばれた美への約束』に所載。今回の展示には出しきれていない作も含まれている。
 メモリアル・イヤーというわけで、今冬には京都国立近代美術館で「生誕120年 人間国宝 黒田辰秋―木と漆と螺鈿の旅―」が控える。鍵善からも、本展で拝見したもの、できなかったものを含めて、たくさんの作品が出陳されるはずだ。
 岡崎公園での再会を作品たちと期して、ZENBIを後にした。


 ※京近美のホームページ


 ※『黒田辰秋と鍵善良房』のブックデザインと図版は、非常に美しい。辰秋の図録として、ベストの1冊だと思う。今度の京近美は、どんな図録を仕上げてくるだろう。見ものである。


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