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開館60周年特別展 横山大観と川端龍子:2 /大田区立龍子記念館

承前

 かつて大観に揮毫してもらった二字書を龍子はずっと愛蔵し、自邸で開く青龍社の新年会では、毎年恭しく床に掛けていた。そのことを、大観は人づてに知ったのだという。
 和解の場は、京都行きの東海道線の特急列車にセッティングされた。座席で一献傾けながら、積もる話を連ねていく雪融けの時間は、長いはずの旅路をあっという間に感じさせたことだろう。
 富士をバックに、食堂車のテーブルで向かい合う師弟……なんとも絵になるふたりだ。当時は、折しも日本映画の黄金期。往年の名監督の誰かしらに、ぜひ撮ってもらいたかったシーンである。

 もっとも、実際のところ、当日にきれいに富士が望めたかは不明だが、このふたりならきっと、進行方向右側に席をとっていたはず。
 なにせ「大観の富士」である。得意の画題で、一説には生涯に2,000点ともいわれる。そして龍子も、富士を描いている。
 本展では、大観の富士についても多くが割かれていた。見馴れた富士、富士、富士ときて、その最後に、大観の富士のなかでもとくに著名な《或る日の太平洋》がデンと現れ……隣には、龍子の縦2.5メートルにおよぶ《怒る富士》が掛けられていたのだ。
 これには、驚いた。ふたりは、まるで違う道を歩いている……そんなことが、絵を観ればはっきりと感じられたからである。同じモチーフだからこそ、性質の違いが顕在化していた。

・《或る日の太平洋
  1952年 東京国立近代美術館
・《怒る富士
  1944年 大田区立龍子記念館

 絵においては、かくも異なる道筋を描きながらも、ふたりの道は再び交差することとなったのだ。

 この邂逅を機に、川合玉堂を加えた3人での合作展が開かれるようになった。
 「雪月花」「松竹梅」の2シリーズで、3つの画題をそれぞれがローテーションで担当し、ひと組の作品として発表した。本展のポスターに使われた笑顔の写真は、第2回雪月花展(1953年)のときのもの。

 ※大観の左側にほんとうは玉堂がいるのだが、トリミングされてしまった……

 本展では、「雪月花」「松竹梅」の三幅対を3組展示。「松竹梅」1組は山種美術館、ほかの2組はパラミタミュージアム(三重)に最近所蔵されたものである。
 院展の大観、帝展の玉堂、青龍社の龍子。会派も違えば画風も違う。そして、おそらく性格もかなり違うのだろうなということが、見較べてわかる。
 取り違えてしまいそうだが、下のリンク先のパラミタ「雪月花」は、左の桜を描いたものが大観の(「花」ではなく)「雪」で、右の若鮎の泳ぐ水面を描いたものが龍子の「花」である。水面に浮かぶ薄紅色の花びらの存在には、一見して気づけない。

 これに対して中央の玉堂「月」では、墨の濃淡が効果的に用いられ、夜の情景を描いたものと伝わる。「月」だなと、ストレートに把握できる(「雪」っぽくもあるが)。
 与えられた主題に素直に描く、平明で穏和な作風の玉堂。奇なる着想の龍子。
 例としては極端な気がしないでもないけれど、ふたりが両極であるとすれば、大観は龍子のほうにだいぶ近いことが理解されよう。(つづく


記念館の道路を挟んで向かい側に、龍子の邸宅・アトリエがそのまま残されている。大作の制作には、それにふさわしい規模のアトリエが必要だが……それにしてもデカい
庭園の木瓜。こぶのような実がぶら下がって、重そうだった



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