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イサム・ノグチ 発見の道:4 /東京都美術館

承前

 1階の第1章「彫刻の宇宙」で生涯にわたる作例を一巡、若干の満腹感が漂いはじめる。2階の第2章「かろみの世界」の薄口で箸休め、ノグチデザインのソファーに座るなどして休み休み鑑賞。
 そして迎えた3階の第3章「石の庭」は……これがまた圧巻であった。
 この最終フロアで展示されるのは、香川県高松市牟礼町にあるかつての制作拠点、現・イサム・ノグチ庭園美術館にあるもの。その多くがふだんは庭で野ざらしになっていて、これほどの数が館外でまとめて展示されるのは初めてという。
 美術館は終の棲家でもあるから、ここにあるのは晩年の作ということになる。
 ノグチが晩年に到った境地を端的に示す作家自身の言葉が、3章の章解説にあった。

「自然石と向き合っていると、石が話をはじめるのですよ。その声が聞こえたら、ちょっとだけ手助けしてあげるんです」

 誰とまでは正確に思い出せないが、石や木や土に対して同種の言葉を残した彫刻家や陶芸家、工芸家はほかにもいたと思う。
 架空の世界でよければ、『男はつらいよ  寅次郎あじさいの恋』に登場する人間国宝の陶芸家・加納作次郎(片岡仁左衛門。モデルは河井寬次郎)がそっくりな科白を残していて、わたしなどはこれが真っ先に浮かんだ。

「つくるでない、掘り出すねん。土のなかに美しいもんがいてな、出してくれ、はよ出してくれって、泣いてんねん」

 加納作次郎のモデルは河井寬次郎で、綿密に取材をする山田洋次監督のことであるから、おそらくは河井にこのような言葉があるのではと思われる(じっさいに、映画には、河井のエピソードをそのまま脚本化したらしきシーンもある)。
 河井とノグチには、活動時期や人的交流、そして造形の面でも近いものがある。このあたりは、今後一考の余地がありそうだ。

 脱線してしまったが、ノグチの言葉の「ちょっとだけ手助けしてあげる」といったあたりのニュアンスからは、素材に対する敬意と同時に、物事を上っ面で判断しない厳格さが感じられる。
 彼はそもそも、みずからの視覚や触覚で認識できる範囲の「素材」など、最初から眼中になかったのではないか。彼がまっすぐに見つめていたのは、素材を超えた先、その核の部分にある本質的なものだった。そんな一面がより強固に先鋭化していったのが、晩年の造形なのだろう。
 言葉どおりに、ノグチは石材に最小限の手を加えて作品にしている。
 小豆島産の花崗岩を使った《無題》。この石材はもともと、江戸時代に大坂城の石垣の石切り場に置き去りにされた「残念石」などと呼ばれるもの。切り口の反対側は、大阪城のどこかでいまも石垣としての役目を果たしているのだろうか。
 ノグチは、その「残念石」にわずかに手を加えて、作品とした。
 こういったところに、彼なりの素材への“敬意”がうかがえるとわたしは思った。(つづく


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