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イサム・ノグチ 発見の道:5 /東京都美術館

承前

 ここでいう素材への “敬意” とは、石の石としての成り立ちや歴史を踏まえようとする姿勢ともいえる。
 「残念石」の話は、さかのぼってもせいぜい江戸時代。しかし、それが石材になる前、石が石となるまでには、はるかに数万年単位もの時間を要している。われわれはその事実をともすると忘れがちだが、ノグチはきっと、こういった悠久の時間を含めて形にしている。
 石としての「過去」を踏まえ、作品としての「現在」をつくったノグチ。
 その上に積み重なっていく「未来」――それを物語るのは、経年変化であろう。
 第3章の作品群は野ざらしとなっているぶん、育っている。すなわち、直射日光と外気、風雨にさらされて角がとれ、摩耗し、水分が浸透することで、作品が新たな時間軸を獲得しているのだ。
 第3章「石の庭」では、このありようにとりわけ胸を打たれたのだった。
 こういった経年変化の味わいを是とする感性には、古美術愛好家の性が多分に反映されているとは思うが、そこはご愛嬌。
 保存の面で好ましくないのは百も承知だが、苔むしていたっていいと思った。極論をいえば、風化が進んでさらさらと砂と化し、大地に還っていく姿だって観てみたいもの……などといった、不謹慎な想像すらしてしまうのであった。

 会場の最後では、イサム・ノグチ庭園美術館の映像が流されていた。
 石が、雨に打たれている。図録の表紙やリーフレットに採用された写真も、この雨に濡れたカットだった。
 長尺の映像だったが、いつか行ける日のことを思い、あえて観るのをやめた。楽しみはとっておきたいのだ。
 今回の展覧会を経て、イサム・ノグチ庭園美術館へのあこがれはなおいっそう強まった。あの展示室に身を置いた人は、一様にそう感じたのではないか。
 遠く四国の地からここまで、巨大な石材彫刻を運搬してくるのはさぞ大変だったろうが、なによりの観光客誘致になったはず。
 わたしもいずれ、イサム・ノグチが暮らし働いた牟礼の地を訪ねてみたいと思っている。(おわり)



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