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岩手県立美術館のコレクション展:2

承前

 岩手県立美術館が、他の県立美術館とやや異なるのは、収蔵品の柱が「郷土ゆかりの作家」1本であること。
 他館では、郷土の作家顕彰とともに、印象派・ピカソなどのキャッチーな西洋美術や、一見してその土地との関係性がうかがいづらいニッチなコレクションを柱に据え、新たな「ご当地色」を生み出そうとしている例が非常に多い。
 山梨のミレーや岐阜のルドン、栃木のイギリス絵画などがそうで、むしろこちらの方式が一般的といえる。県民をはじめ広く来館してもらい、世界の美に触れてほしいというわけである。
 岩手県美の開館は2001年。美術館の計画や収集はさらにずっと前からであるにせよ、開館が遅かったということが、バブルの波に乗じた多くの県立美術館とは性格が異なる所以ともなっているのだろう。
 もっとも、お隣の青森県立美術館は2006年開館、目玉はシャガールの大作であり、一概にはいえないが。

岩手県美の「グランドギャラリー」。入り口を背に、2階のコレクション展示室へ向かう大階段の方向から撮影

 それに、もしかしたら……県民性というのがあるのかもしれない。
 盛岡がニューヨーク・タイムズの「2023年に行くべき52か所」に選出された際、岩手県の知事は、そのことをアピールする幟(のぼり)の制作を許さなかったという。

「(「選ばれました」と喧伝する幟は)盛岡の土地柄には合わない」

「BUSINESS INSIDER」の記事より

 ニューヨーク・タイムズと印象派とが、わたしには、なんだか重なってみえる。
 つまり、県外からやってくる既存の権威を借り物として飾りたてるのではなく、いまあるもの、もとからあるものを活かしていこうという姿勢である。この奥ゆかしくも強い、堅実な点が土地柄であり、県民性なのかもしれない。
 もちろん、西洋美術の収蔵・公開には大きな意義があり、来館者増などメリットも大きい。わたし自身、その恩恵に多分にあずかってきたのは確かだが、こういった「郷土」一本の県立美術館がもっとあっていいのではと、個人的には思う。

 いっぽうで、岩手県美が「郷土ゆかりの作家」に全振りしながら成り立っているのは、県下から類まれな作家を3人も輩出しているからこそともいえる。萬鐵五郎、松本竣介、舟越保武の3人である。
 萬は花巻の土沢生まれ。竣介は2歳のときに東京から同じく花巻へ、さらに盛岡へと引っ越して、盛岡中学校(現在の盛岡第一高校)に学んでいる。その同級・同窓生だったのが、のちに彫刻家となる舟越保武。ただし、親しく交わったのは東京に出てからという。
 彼らにはそれぞれ「記念室」が設けられており、代表的な作品をいつでも鑑賞できる(竣介と保武は連名。仕切りでゾーニングされてはいる)。

 まったくの余談だが、いま野球界では、大谷翔平選手をはじめ、岩手出身者たちが連日メディアを賑わせている。大谷選手と同じ花巻東高校の3つ先輩・菊池雄星選手に、だいぶ後輩で在学中の佐々木麟太郎選手。三陸からは、佐々木朗希選手。
 総理大臣は4人も出ている。原敬、斎藤実、米内光政、鈴木善幸。東京、山口に次いで3位タイの多さだ。文学では石川啄木に宮沢賢治。
 そして美術では、萬鐵五郎、松本竣介、舟越保武。保武の子・舟越桂や菅木志雄もいる。他分野にひけをとらない、豪華メンバーである。
 岩手はなぜ、これほどまでに偉人・異才を次々と輩出できるのだろうか。隣県の芝が、ひたすら青く見える……

岩手県立美術館と芝生


 ——隣県人によるぼやき・ひがみは、さておき……
 訪問時は企画展のお休み中で、コレクション展のみの鑑賞となった。加えて平日でもあり、開館から正午頃まで、展示室で出会った人数は4、5人にとどまった。
 そのぶん、かなり集中して、じっくりと拝見。撮影可のため、現地での色合わせまでできた。
  「空想の世界」と題したテーマ展示では、3人や菅の作、その周辺作家の作とともに、初めて名前を知る郷土の画家の作にも多く触れることができた。
 けれどもやはり、萬鐵五郎、松本竣介、舟越保武の3人——とりわけ萬と竣介の個人展示室で受けた感銘は、たいへん大きなものであった。次回、しっかりご紹介していくとしたい。(つづく



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