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岩手県立美術館のコレクション展:1

 新潟への日帰り旅から1週間と経たぬうちに、またもや東京を脱出。次なる行き先は、盛岡である。
 考えてみれば、仙台で新幹線を降りずに素通りすること自体、初めてだ。
 乗り慣れた東北新幹線の、見慣れぬ車窓風景。宮城北部は吹雪、岩手に入ると一転して曇り模様で、雪はほぼ残っていなかった。
 北東北へは2003年以来、21年ぶり。今回と同様、目的地は岩手県立美術館で、冬のことだった。あのときは駅と美術館をバスで往復したくらいで、駅の反対側にある街並みにはなぜか目もくれずに、トンボ帰りしてしまっていた。

 それから、雪が少しずつ降り積もるように、盛岡の行きたい場所が増えていった。
 盛岡で多感な時期を過ごした松本竣介の足跡、地元でしばしば寄っていた民藝店「仙台光原社」の本店、盛岡市内に散在するという巨石……

岩手山。市街地のどこからでも見える

 盛岡の街は昨年、ニューヨーク・タイムズの「2023年に行くべき52か所」に、ある種の不意打ちで選ばれて話題に。こんなコピーが記されたJRのポスターに、見覚えのある方も多いだろう。

世界の人が憧れる街・盛岡を旅しよう

 いわば、逆輸入。浮世絵のような現象がいまだに起きているのだと思うと複雑だけれど、それを報じるテレビや雑誌のおかげで、市内にはすてきなお店やスポットが多々あることを知り、いっそう興味が湧いていた。
 新潟行と同じく、新幹線を含むJR東日本の全路線が1日乗り放題の「キュンパス」を利用して、盛岡までやってきた。

 バスを待つには半端な時間のため、30分弱だが歩くことにした。
 東北一の大河・北上川に架かる橋を渡った先、広い公園のなかに、岩手県立美術館は立っている。

北上川。右側に岩手山がみえるはずだが、朝の時点では雲に隠れていた。下流は宮城県で、河口にはあの大川小学校がある。わたしもよく知っている地域に、この川はつながっている

 じつをいうと、この「新幹線の駅から少し離れている」「途中で大きな川を渡る」「渡ってすぐの広い公園内にある」といった立地は、先日行ってきた新潟県立近代美術館とそっくり。スポーツ施設など、他の文化施設とまとめて開発されたケースだ。
 ついでにいうと「美術館に付設されたレストランが閉店してしまっている」という点まで共通していた……コロナ後のいま、レストランが閉店中の地方館は、けっこう多いのかもしれない。

 岩手県立美術館と、21年ぶりの再会。
 開館してまもなかった当時、外観のコンクリート打ちっ放しは新品同様だったけれど、さすがに年季が入っていた。北国の風雪に耐えてきた、この勇姿。お互い、歳をとったものです……

グランドギャラリー。内部はとてもきれいに使われていて、いまできたかのよう

 展示室へと向かうスロープの踊り場で、最初の作品に出合った。
 菅木志雄のインスタレーション《集向》(2005年)。李禹煥らとともに「もの派」を代表する作家は、地元・盛岡市の出身である。

 コンクリートブロックに釣り竿が固定され、釣り糸の先には、ありふれた石の塊がくくりつけられている。石を少しでもずらそうものなら、跳ね上がってしまうのではと思われた。
 この危うい均衡の合間を、鑑賞者は歩くことができる。ちょっぴり緊張しながら、変化していく線の景色と、それぞれにようすの異なる石たちを観察していった。
 ご覧のように、岩手県立美術館の建築に非常にマッチしている。心地よい。
 2021年には「菅木志雄展  〈もの〉の存在と〈場〉の永遠」がここで単独開催されており、訪ねようかどうか大いに迷った末、見送ってしまったことを思い出した。こういった機会、今後は取りこぼしたくないもの……

 ——トップバッターとなった菅木志雄がまさにそうであるように、岩手県立美術館では岩手出身であったり、岩手に縁が深い作家の作品を主に収蔵している。萬鐵五郎、松本竣介、舟越保武に関しては、専用・常設の展示室がある。
 ちょうど企画展が開催されていなかった期間に、館の独自色が最もよく出ると思われるコレクション展を訪ね、岩手の美術に触れてきた。(つづく


展示室より、小林源平《岩手山》(1935年)。小林は盛岡の南・花巻の北にある紫波町出身。盛岡の街は、今も昔も岩手山に見守られている。サント・ヴィクトワール山を描いたセザンヌの影響を感じさせる作品
石川啄木「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな」の碑や看板を、街のあちこちでみかけた



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