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みんな大好き! 宗達・光琳&柿右衛門様式:1 /東京黎明アートルーム

 今日も今日とて、東中野へ。
 東京黎明アートルームでは、ともにお得意の「琳派×肥前磁器」が展示中。
 はっちゃけたデザインも健在だ。

(本展リーフレット)

 「みんな大好き!LOVE」
 ……はい、すきです。
 宗達、光琳、柿右衛門。
 みんなだいすき、わたしもだいすき。

 最初の展示室には、柿右衛門様式の逸品が25点も。
 しかも、様式と展開の全体を語ろうとするときに必要なピースが、おおむねそろっているといえそうなチョイス。乾山のときもそうだったが、バランスよく、全体を意識しながら集められている。

 さて、展覧会名に「柿右衛門様式」とあるのは、ゆえあってのことだ。
 ふた昔ほど前の書物を読めば、作品解説に、これは初代酒井田柿右衛門の作、あれは三代の作……と堂々と書かれているけども、現在、この見方はとられていない。一作家や一工房の作とするには、伝世品の数量が多すぎるのだ。窯址の発掘調査も、これを裏づけている。
 有田の窯で製作された磁器のひとつのスタイルとして、柿右衛門様式がある。本展でも、まずはそのことが断られていた。
 この展示、リーフレットのデザインははちゃめちゃだが、音の感じや語呂が損なわれるのも厭わずに「柿右衛門様式」とするあたり、隙がないというか、好感と信頼がもてるなぁと個人的には思う(※以下「柿右衛門様式の作品」を指す場合には、単に「柿右衛門」と表記することにしたい)。

 柿右衛門を特徴づけるのが、素地の白さである。
 独特な白さは、お米のとぎ汁にたとえて「濁手(にごしで)」と呼ばれる。英語では「Milk white」、すなわち乳白色と呼称している。
 お米をとぐとき、わたしはいつも柿右衛門の濁手を思い浮かべながら「やっぱり、英語名のほうが実態に近いよなぁ」と考える。とぎ汁の白は靄(もや)がかって、ぼんやりと変化していく。お米をぎゅっと何回押しても、あの白さにはまだ遠い。
 柿右衛門の素地は、明るく澄みきっている。どちらにしても単純な白ではないけれど、ミルクのほうにより近いのではないか。
 そのような白い素地に、彩り豊かな上絵が施される。水墨や淡彩の筆ぶりに似た、絵画的な味わいを放つ絵付も多い。白さを活かして余白を効果的に活用するのが、柿右衛門の美学である。

 《色絵花鳥文瓢形瓶》は大ぶりで、上がりはよく、絵付も上手。瓢形のかたちもよい。非の打ち所がない名品であろう。

《色絵花鳥文瓢形大瓶》(東京黎明アートルーム)=ポストカードより転載

 解説によると、福岡市美術館に同形同寸の作が所蔵されており、もとは一対だったのではとのこと。同館のデータベースにあたってみると、なるほどたしかに、これはペアだったのであろう。

 ところで、この生き別れのきょうだいの姿を観て、みなさんはどんな印象をもたれるだろうか。
 「和・洋・中」でいったら……?

 ——答えが割れても、無理はないと思う。
 下半分の余情ある絵付は「和様」を感じさせるし、くびれ部分の赤絵の雷文や上部の宝相華唐草文、そして瓢形というかたちは中国陶磁に由来するもので「中国風」ともいえる。
 また、柿右衛門の多くは国内向けでなく、はじめから西洋へ輸出するために製作された。本作も西洋からの里帰り品。
 ヨーロッパの王侯貴族の宮殿・邸宅を東洋陶磁が所せましと飾るさまをみると、こうしたやきものがじつによく、西洋の豪奢な室内空間に融けこんでいることがわかる。
 柿右衛門は「洋」にもなれるよう、つくられていたのだ。
 次のような作品もある。

 教科書でおなじみの東京国立博物館《色絵花鳥文大深鉢》(重文)の同手品で、すぐれた絵付であるが……西洋人の用途に合わせて、金具をガッチャンコ。サイボーグ化というか、なんというべきか。
 しかし、壺がランプのベースに転用されるなど、こういった事例はけっしてめずらしくないし、じっさいに西洋の宮殿の内部装飾として据えつけられると、これまたよく調和するに違いないのである。
 柿右衛門様式に関しては、しばしば意匠面から「和様」を示すことがいわれる。ただ、成り立ちからしても、作品からしても、「和・洋・中」どれも間違いではなく、どの性格も含んだ「合いの子」の側面をもっているといえよう。

 俗に「柿右衛門人形」と呼ばれる立体造形も、海外で非常に好まれた。
 現存数が多くない希少な作例でありながら、本展には女性像2点(立像、坐像)、童子像が1点、それに獅子が一対出品されていた。すばらしい充実ぶりだ。

 濁手の素地が奏功して、肌の白さ、着物の文様の彩りがいっそうに際立っている。黒々とした髪・帯の視覚的なアクセントにも注目したい。
 風俗画から飛び出してきたような、こうした柿右衛門人形の美女をみていると、当時の美意識も技術も、この一体にすべて詰まっているのだなといった感すら、いだいてしまう。(つづく



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