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真珠のようなひと ―女優・高峰秀子のことばと暮らし―:2 /ミキモトホール

承前

 展示の冒頭にはデコちゃんの年譜が掲げられており、梅原龍三郎との接点が散見された。
 『カルメン故郷に帰る』の撮影の合間に、ロケ地の軽井沢で肖像画を描いてもらった……という記述にとりわけ興味をひかれていたところ、自分の背後に本物の肖像画が出ていることに気づいて、思わずワーッと驚いてしまった。
 もっとも、展示作品はそのときのものでなく、別の機会に描かれたものではあった。梅原は肖像画を描くことを好まなかったが、デコちゃんの像に関しては何点も残っている。
 梅原との交流を一冊にまとめた『私の梅原龍三郎』(潮出版社 1987年)から、図版をご覧いただきたい(世田谷美術館蔵。下記リンクの2枚めの画像参照)。

 色彩の奔流!
 感情が色になって、溢れてくるようだ。
 会場では、振り返ったらすぐにこれであった(しかも至近距離だった)。「思わずワーッと」なるのも無理からぬことと、共感いただけるかと思う。
 もちろん、丸顔で顎のラインがシュッとしたところ、眉のかたちなど、本人らしい特徴はちゃんと捉えている。
 それに、文章からうかがえるさっぱりとしたお人柄は、日本画の線できっちり形を再現していくよりも、梅原のようにざっくばらんに捉えたほうが、よく表現できるのではとも思われた。
 自伝『わたしの渡世日記』が復刊された際、この絵は下巻の表紙を飾っている。

 ※『いっぴきの虫』の表紙も。

 なお、軽井沢で描いた最初の肖像画はその後、デコちゃん本人から東京国立近代美術館に寄贈されている。
 こちらは、同じく文春文庫版『わたしの渡世日記』の上巻の表紙を飾った。

 梅原の作品はほかに、横位置のキャンバスの全面に薔薇の花を描いた小品の油彩が出ていた。

 藤田嗣治とは、パリ滞在時に夫妻で交流をもっている。
 出品作品は、ふたりの姿をおもしろおかしく誇張した戯画的なペン画で、夫妻と画家との気の置けないつきあいぶりがうかがえた。
 室内の写真にも、フジタの作品と思われる額装の絵が写りこんでいた。

 フジタの作品や梅原の薔薇は個人蔵のようだったが、梅原の肖像画のほうは、同じくデコちゃんをモデルとした10点の作品(うち梅原は6点)とともに、2005年にデコちゃんご本人から世田谷区に寄贈されたもの。
 これに未公開のものを加えれば、「高峰秀子と美術」といったテーマで大きな展覧会が組めそうだ。百貨店向きの内容でもある。
 本展の献辞には「高峰秀子生誕100年プロジェクト」の名前があった。デコちゃんは1924年生まれだから、そういった展示を拝見できる機会が、もしかしたら来年のどこかに用意されているのかもしれない。
 展覧会場で大勢のデコちゃん像に取り囲まれる……そんな日が来るだろうか。


 ※展覧会のあと、デコちゃん出演作をなにか観たいなと思い、小津安二郎『宗方姉妹(むねかたきょうだい)』を視聴。
 田中絹代さんと姉妹役で共演。話の筋にはげんなりしてしまったが、かつての奈良・薬師寺の境内と、デコちゃんの変顔が貴重な一作。



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