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やまもとの至宝・飛鳥時代の大刀と馬具:2 /山元町歴史民俗資料館

承前

  「線刻壁画」が発見された合戦原遺跡の38号横穴墓は、54あった横穴墓のなかで最大の規模。その副葬品が《金銅製装飾付大刀(たち)》だった。
 この墓の主が、いかに強い権力を保持していたかがよくわかる。

移設された線刻壁画

 線刻壁画の展示室で、《金銅製装飾付大刀》の復元品を手にとることができる体験会が催されていた……というか、会期中にわずか3日間の体験会に合わせて、わたしはやってきたのだった。
 復元品は、本展が初お披露目。3日間以外は、原品と一緒に展示ケースのなかに収まっている。たいへん貴重な機会だ。

復元品

 大刀の復元品は、手で触れる、持ち上げるのみならず、鞘から抜くことまでできた。右手に抜き身、左手に鞘の状態。
 身のほうは、片手で無理なく持てはするけれど、ずっしり。アルミニウム製の刀身で、重さは原品とほぼ同じという。
 柄(つか=持ち手)の先についている「環頭」と呼ばれる部分がとくにずっしりで、重心はむしろここ。振りまわすには、難がある。
 そういった点からも、この大刀が実戦的な武器というよりは、儀礼用やステータスシンボルであったことがうかがえた。

双龍文の透彫が入った環頭。残念ながら、原品からこの箇所は失われている(緊張して、下部を手で隠してしまった)

  「双龍環頭大刀」と呼ばれるこのタイプの出土は、国内で90例、東北地方では6例、県内では3例を数えるのみという。
 復元にあたっては、千葉・木更津の金鈴塚古墳から出土した類品(重文)が参考とされている。

 興味深いのは、この大刀が横穴の開口部の中央に、しかも切先を外側に向けて置かれていたこと。墓への侵入を許さない、破邪の意味が込められていたのだろう。

 《金銅製装飾付大刀》の原品は、隣の部屋に展示されていた。復元品の感触や重量を思い返すと、ただ観るよりずっと、真に迫るものがあった。
 柄の周辺はとくにコンディションが良好で、複雑な文様がよく観察できた。

原品。環頭を欠いている
本展リーフレット。柄の周辺の拡大図


 この展示室には大刀の他にも、合戦原遺跡出土の金属製品が集められていた。
 刀や刀装具、轡(くつわ)や鐙(あぶみ)といった馬具、鏃(やじり)など弓具、刀子、釘など、総数1415点から選りすぐりの金属製品270点。

 多くは、いまとなっては赤茶色の錆の塊であるが、これほどの量・種類の金属製品を所持していたという事実は、この地を治めた豪族の位置づけを雄弁に物語っている。
 金銅製の馬具は、東北地方からの出土例自体が少ないという。合戦原遺跡からは金銅の「花形杏葉(ぎょうよう)」や「壺鐙(つぼあぶみ)」=リーフレット左下=といった豪奢な馬具の、県内初・国内最北の出土例がある。
 この山元の山野を、黄金の馬具で装った王者の愛馬が駆け回っていたことだろう。

もうひとつの展示室では土器や、勾玉など玉(ぎょく)の類を拝見


 ——帰り際に、ショップを覗いてみた。
 線刻壁画に描かれた人面はゆるキャラとなり、さまざまにグッズ化されて、町おこしの一翼を担っている。
 その名も……「せんこくん」。

↓   ↓   ↓
せんこくん

 あくまで “線刻壁画の「せんこく」ん” であって、某・奈良の有名キャラクターとは、なんの関わりもない。

 クリアファイル、一筆箋など各種あるなかから、図録と缶バッジ2つを購入。缶バッジは表面が反射材になっていて、夜道の交通安全にも役立つ代物だ。
 長年、この地の豪族の横穴墓を守り抜いてきたせんこくんは、いま、バッジの持ち主の身の安全を守ってくれているわけだ。
 せんこくん、流行りますように……

右、断じてスマ◯リーではない


 ※猫は、光るものがだいすき。

せんこくん、大ピンチ


 ※せんこくんグッズの数々。缶バッジもそうだが、このページに載っていないグッズが他にもあった。

 ※せんこくんは、お弁当の定番・アンパンマンポテトにも似ていると思う。



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