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井草八幡宮 例大祭:2

承前

 古代遺跡の真上に、神社や寺が立っているーーそういった聖地の存在に触れるたび、ある種、新鮮な感覚をおぼえる。何度出くわしても、ほぉと感心してしまうのだ。

 神社の創建にまつわる由緒には、応神天皇や八幡太郎義家といったヒーローが、誰かしら絡んでくることが多い。
 けれども、そんなストーリーを、わたしはうまく消化しきれないでいる。いまこの場所で、かつて確かに起こった出来事として、なかなか立ち上がってこないのである。
 そればかりか、大変失礼なことに、後世に付会されたフィクションである可能性を、すぐに疑ってしまうのだ。
 このあたりが、篤い信仰心から参詣する方々との決定的な違いで、よくいえば実証寄りの合理的な思考であり、悪くいえばロマンがない。

 ところが「境内を発掘すると縄文・弥生の集落や祭祀跡、遺物が出てきた」「社殿の立つ丘陵がじつは古墳だった」といった実例を耳目にすると、あやふやだった像が揺るぎなく、くっきりと結ばれるような気がしてくる。
 案内板に書かれた由緒と古代遺跡との因果関係はわからなくても、遺跡の真上に社殿が造営されるということは、まったくの偶然ではありえないだろう。それこそ、合理的に見ても「ない」。この地が聖地とされるには、相応の理由があったのだ。
 はるか昔から連綿と受け継がれてきた土地の記憶が、いまも息づいている。おおもとの「理由」が忘れ去られ、もしくはある時期に意図して置き換えられたとしても、地域の心の拠り所としての存在感だけは残りつづけた……その奇跡。
 そして、その「理由」を示唆する遺跡が、こんにちまで地下に眠りつづけていたこと、こうして日の目を見るに至ったことに、わたしは心動かされるのである。
 同じ場所で異なる時間軸に起こったことが、一直線につながる。点が線になる感覚に近いだろうか。

 神域に足を踏み入れたときの「踏み入れた」感、ひんやりとした空気。
 「畏怖」「聖性」とでも言い換えられようが、古代遺跡の存在によって、それら「畏怖」「聖性」の尻尾をつかめたかのようにも思える――
 出店に群がる喧騒をかきわけ、参道を往きながら、そんなことを考えていた。

こちらは葛飾・柴又の柴又八幡神社。古墳の石室の上に立っている。現在の祭神は異なるが、もともとは古代にこの地を治めた豪族やその一族を祀る施設だったのだろう。寅さんそっくりの埴輪が出土したことでも有名




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