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李禹煥:5 /国立新美術館

 (承前

 絵画のタイトルは、彫刻のそれよりもさらにシンプル。
 作品リストをみても、《点より》《線より》《風より》《風と共に》《照応》《対話》《応答》……この7種のみとなっている。

 《点より》《線より》は、1970年代から描かれたシリーズ。点なら点だけを、線なら線だけを大きなカンバスに反復する。点や線ははじめは濃く、徐々にかすれて消えてゆく。
 このシリーズ、少年時代に習った書道が下敷きになっていると知れば、なるほどたしかに東洋的感性をたたえているなと感じられる。欧米からのニーズにも、応えるところがあったのだろう。各地の美術館で最もよくみられる、代表的なシリーズとなっている。

 なにより、親近感があるではないか。
 書道教室や小学校の習字の時間に、筆と墨を使って図形や線を描くことに没頭したという方は多いだろう。
 いつもと違う道具を使って、いつもと違う視覚効果を紙の上にもたらす。手や指先の動かし方しだいで、微妙なニュアンスをみせる。それが、ただただ楽しかったのである。
 こういった童心に似た心持ち、興味の方向性が、《点より》や《線より》からは感じられるのだ。
 もちろんそれのみではなく、作家としてのねらいやたくらみもあってしかるべきではある。むしろかなり計算的というか、理知的に、ドライに、そして慎重に筆を進めている性格のものではあろう。
 けれども根底には、純粋な実験精神を感じる。にじみもかすれも、操作や管理をしきれない偶発性をはらんだものだからこそ、愉快なのであろう。

 1980年代からの《風より》《風と共に》では一転して、荒ぶった、激しさをはらんだ筆致をみせる。うねり、かすれる不均一な筆が、短いストロークでほうぼうを駆け巡る。まさに「風」を感じる作となっている。
 《風より》《風と共に》の大作群に囲まれた一室でわたしが覚えたのは、曇天のもと、草ぼうぼうの辺境の岬にて、幾陣もの大風に襲われる錯覚であった。

 その後、80年代の終わりから現代に至るまでは「余白」がキーワードとなる。
 カンバス上に2つ3つ置かれた、太くて短い筆の跡。点とも線ともつかない。使われている色にはグラデーションがあって、何色とも形容しがたい。
 これによって引き立つのが、余白である。余白が、膨張してみえてくる……
 やはり、彫刻の《関係項》が思い出される。《関係項》では、あるものを同居させることで、空間が膨張して感じられたのだった。
 「余白」の絵画が、彫刻における《関係項》に対応する絵画の作例であることは、《照応》《対話》《応答》といったタイトルづけからも察することができよう。

 ――本展のラストに控えていたのは、展示室の白い壁に直接描かれた《対話—ウォールペインティング》。
 作者がアクリルで手を加えたのは、全体からみればほんとうにわずかな、ただ一か所のみだ。
 それでも、この空間すべてがまるごと作品に取り込まれ、吸い込まれるように人が集ってゆく。集った人々は作品と、作者と、自分と、「対話」を繰り広げる。
 「ここに作者がいたのだ」「ここで描いたのだ」という生々しさ、ある種のライブ感を残しつつ、展示は終幕となった。
 《線より》の、かすれて消え去る線のように、いい塩梅の余韻であった。


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