ゴッホと静物画 ―伝統から革新へ:2/SOMPO美術館
(承前)
ゴッホが生まれたオランダには、17世紀から続く静物画の長い伝統があった。ゴッホ自身がその影響を強く受けたわけではなく、彼が当初目指したのは人物画家だったものの、弟・テオへの手紙には特定の静物画家への言及もみられる。
ひとくちに「静物画」といっても、モチーフはさまざまある。本展ではそのひとつひとつを取り上げ、先行するオランダやフランスなどの絵画、同時代の作例とともに丁寧に紐解いていく。ゴッホが言及した作家の作品も、これには含まれていた。
ピーテル・クラース《ヴァニタス》(1630年頃 クレラー=ミュラー美術館)。しおれた花、火の消えた蝋燭、そして、しゃれこうべ。こうしたモチーフによって人生の儚さを教訓的に暗示する「ヴァニタス画」の典型である。
ゴッホにも、しゃれこうべを描いた作がある。《髑髏》(1887年5月 ファン・ゴッホ美術館)。
初期の暗澹とした調子で描いていたとすれば、ヴァニタス画と近似した雰囲気になっていたかと思う。
パリ時代のこのしゃれこうべは、明るい色遣い。後年のギラギラした作家像はみられず、繊細なタッチをみせる。
しゃれこうべが描かれる以上、どうしてもヴァニタス画の存在がちらつくし、ゴッホも先行作例を知った上で同様のメッセージ性を少なからず意識して描いたのだろうが、頭蓋骨のかたちや凹凸、生じる影、光の当たり具合といった純粋な造形的興味のほうが、まさっていたのかもしれない。
モチーフと描きぶりの噛み合わなさにこそ、引き込まれる絵といえようか。
パリ時代の作に関しては、後年の激しい作風に比べて物足りないという人がままいるけれど、わたしは明るく、わかりやすいところがむしろすきだ。
《青い花瓶にいけた花》(1887年6月頃 クレラー=ミュラー美術館)は、印象派ふうの色濃い作品。まぶしいほどの明るさ。歓喜にあふれている。絶望も葛藤も狂気も、まだここにはない。2021年、上野のゴッホ展以来の再会。
《水差し、皿、柑橘類のある静物》(1887年2月~3月 ファン・ゴッホ美術館)も、パリ時代の作。
背景のテキスタイルにみられるように、たいへん繊細で都会的、しゃれている。
のっぺりしたガラス瓶の表現などはこなれず、けっして巧みではないけれど、その素人っぽさも含めて味がある。観ていて安らげる絵だ。
アルル時代の作《レモンの籠と瓶》(1888年5月 クレラー=ミュラー美術館)。やはり、上野以来の再会。
卓上に置かれた柑橘類とガラス瓶……というモチーフの選択はなんら変わりがないのに、画風はこれほど変貌を遂げている。驚くばかりだ。
半端な立体描写を捨て、太い輪郭線を採用することで、モチーフだけが背景からせり出してくる。薄塗りから厚塗りへの変化も、そのような感触に影響しているだろう。
この絵でゴッホは、テーブルや壁を、主たるモチーフの引き立て役としか捉えていない。
目の前にある対象を描くというよりは、自分の表現したいものを描く。そのために強調や省略・改変をして、画面をつくっていく。そのような制作意識への転換が、2点をとおしてみえてくる。(つづく)
※ゴッホとの直接の関係はなさそうだが、わたしがすきなファンタン=ラトゥールの作品が2点出ていた。眼福。
《プリムラ、洋ナシ、ザクロのある静物》(1866年 クレラー=ミュラー美術館)は、2021年の上野展にも出品。ファンタン=ラトゥールは、へレーネ・クレラー=ミュラーのお気に入り作家だった。
もう1点は《花と果物、ワイン容れのある静物》(1865年 国立西洋美術館)。
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