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堅山南風《大震災実写図巻》と近代の画家:2 /半蔵門ミュージアム

承前

 展示を訪れる前日の夜に、NHKスペシャル「映像記録 関東大震災 ー帝都壊滅の三日間ー」を視聴した。
 モノクロの記録映像を高精細・カラー化、それを手がかりに、被害の大きかった山手線の東側の経過を追うもの。

 この番組で主に取り上げられた浅草・上野という場所、さらに時間帯とも、堅山南風が歩き、絵巻の主題とした状況に重複する。前夜のカラー映像をオーバーラップさせながら、絵巻を観ていった。

 描かれるのは、驚き、恐れおののき、必死で逃げ惑う人びとだ。なかには、天に向かって必死で祈りを捧げる老婆や、大八車に家財を山と積んで逃げようとするものの、電柱の下敷きになってしまう人がみられた。
 前日の番組でも、このように大八車を引いた避難者が多数いたことが触れられていた。大八車は交通渋滞・避難の遅延を引き起こすとともに、布団のような燃えやすいものに火の粉が引火し、類焼の原因にもなったという。

 人の描写とともに、建物の描写も壮絶。木造の傾いた家、1階部分がぺしゃんこに潰れた店、レンガが崩れた洋館、そして、燃える町……瓦葺きの屋根からは瓦がずり落ちて、地面に散乱している。
 瓦屋根に関しては、番組で実証実験がなされていた。当時の施工方法では大地震に耐えるだけの強度が担保できず、いともかんたんに崩れ落ちてしまっていた。さらに、むき出しになった屋根材に火の粉が飛んで、火災を拡大させたとも。
  「浅草十二階」と呼ばれた凌雲閣がポッキリ折れて落下するさまは、帝都東京の崩壊を象徴する一場面。衝撃的であり、本作のハイライトのひとつといえるだろう。

 絵巻の描写はやがて、助け合う人びと、支援の輪や、復興に向けて取り組む姿が目立つようになる。
 迷子だろうか、泣きじゃくる子の頭にポンと手を置き、しゃがんで目線を合わせて話しかけようとする大人がいる。そのいっぽうで、自警団による警戒、捕縛のようすも……

 南風は、これらのモチーフを淡墨と淡彩(一部に金泥)を用いて表している。
 その手法や筆遣いは、むしろ軽妙洒脱とすらいえるもので、場面によっては戯画的とも映るところがあったのは確かだ。
 ただ、この描きぶりにこそ、作家の真意が隠れているものと受け取っている。

 本作の冒頭に掲げられた長い詞書は、こう結ばれている。

願わくは事実の惨を見ず、深く教訓のこもれるを察せられんことを

 震災を報じる新聞や出版物、それに絵葉書などのメディアには、被害の惨状をインパクト重視で伝えたり、グロテスクな面を強調したりといったものが多々見受けられる。死屍累々の被服廠跡の絵葉書が出まわり、当局に禁じられても地下で複製され、瞬く間に流通したという話もある。
 南風は、こういった「事実の惨」ばかりに目を向ける傾向に、違和感をいだいていたのであろう。
 濃彩で塗り込めるスタイルで描けば、直接的な写実にはつながり、「事実の惨」がことさらに目につくようになる。そこを南風はあえて外し、水墨淡彩の表現で中和する手法を選択したのではないだろうか。

 この絵巻からは、表面上の悲惨さでなく「教訓」をこそ読み取ってほしい——それが、南風の真意である。
 では「教訓」とはなにか。南風は詞書で「不断の心がけ」「修養」「信仰」の大事さであろうと述べている。
 すでに触れたように、半蔵門ミュージアムは仏教美術の展示施設だが、本作《大震災実写図巻》にも、じつは仏教美術としての側面がある。
 被災と復興をひとしきり描ききったのち、長大な絵巻の最後を、観世音菩薩の尊像で締めくくっているのだ。
 浅草、観音とくれば「浅草の観音さま」、すなわち浅草寺が連想される。
 江戸初期・慶安年間に建立された浅草寺の本堂や五重塔は、震災によって、倒壊も焼失もせずに健在であった。その雄姿は、焼け跡に呆然と立つ人々にどれほどの希望を与えたことだろう。
 南風もまたそんなひとりであったようで、本作には炎にくるまれる浅草寺の図が加えられるとともに、観音像が殿(しんがり)を務めることとなったのだ。

  「不断の心がけ」「修養」というのは、防災への意識をもち、準備を怠らないことに直結する。
 いっぽうで「信仰」に関しては、もちろん「信じて願えば救われる、助かる」というわけでもないのだろうが、柱や導きとなるものを心に持ち続けることはきっと、生き抜く力に直結するとはいえるのであろう。
 100年前の震災を経験した画家が後世に残してくれたメッセージを、われわれも大切に守り継ぎたいものである。


 ※その他の日本画の展示は、横山大観の富士に浜松、川合玉堂の年代の異なる3点の山水、棟方志功の十和田湖を描いた青がみずみずしい縦幅、山田申吾の山を描いた作。いずれもガラスケースのない、露出展示であった。


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