見出し画像

赤星鉄馬「消えた富豪」の「消えなかった邸宅」へ :2

承前

 旧赤星鉄馬邸は、JR中央線の吉祥寺駅から北西へ徒歩15分ほど、成蹊大学の目と鼻の先のところにある。
 なんでも、成蹊学園の教育理念に賛同した鉄馬が、子どもたちを通わせるべくこの地を選んだのだという。
 学園のパトロン・岩崎小彌太と鉄馬とは昵懇であった。鉄馬がもともと住んでいた麻布鳥居坂の地所は小彌太が取得し、本邸を築いている(現・国際文化会館)。

 当時、吉祥寺界隈までは開発が及んでおらず、この邸宅は片田舎に営まれた「カントリー・ハウス」といった趣だった。鉄馬の趣味は乗馬。愛馬に跨って、存分に武蔵野を駆けたことだろう。
 原野や田んぼ、畑に代わって、現在は戸建ての住宅が広がる。小刻みに分割された宅地のなか、ひときわ大きな区画が旧赤星鉄馬邸。その長いコンクリート塀に沿って、大行列ができていた。まさか、これほどの盛況とは!

まだまだ序の口。マップ上で計測すると、行列は塀沿いに50メートル以上に及んでいた。建物は、この円塔とエントランスから、鰻の寝床状に奥へと続いていく
エントランス。庇(ひさし)の上に施されたくりぬきの丸い装飾がアクセントになって、無機質な印象をやわらげる
円塔の内部、螺旋階段

 若くして渡米し、乗馬に魚釣り、ゴルフをたしなんだ鉄馬には、父・弥之助とは異なり、茶の湯の趣味がなかった。父没後のコレクションの売立から、17年の歳月を経てもいる。
 光にあふれた、垢抜けた生活空間となっているこのモダニズムの邸宅は、現当主にして施主であった鉄馬のカラーが全面に出たものなのだろう。

据えつけの家具は、レーモンドの妻・ノエミのデザイン
子供部屋の機能的な収納スペース
取っ手のひとつまで、こじゃれている
2階の鉄馬書斎。左右から外光が入る。右側の書棚にご注目
書棚奥の丸い採光。かっこいい。かっこいいけど……本が日焼けしてしまう

 鉄馬が唯一親しんだ古美術は、刀剣であった。武士の血やその子孫たる誇りは、アメリカ帰りの鉄馬にも残っていたのだ。
 評伝『赤星鉄馬  消えた富豪』には、気がかりな記述がある。

のちに鉄馬所有の太刀「銘国行」「銘来国光」が国宝指定された

 この2口の太刀は、それぞれ昭和10年と11年に国宝となっていたようである。
 ということは、あくまで戦前の「旧国宝」。現在の国宝とイコールの場合もあるが、そうではない可能性のほうが高い。
 調べてみると、現在は「銘国行」が個人蔵、「銘国光」が静嘉堂文庫美術館蔵で、ともに重文指定となっていた。

 ともかく、この吉祥寺の邸宅に、重文の2口をはじめとする名刀が、あまた保管されていたようである。
 鉄馬が、抜き身の名刀をじっとながめたり、ポンポンと手入れしたりといった光景が、往時のこの家では日常的にみられたことだろう。
 ひょっとすると、書斎の両面からの採光は、刀剣の鑑賞を前提としたものなのかもしれない。(つづく)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?