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バブル期の「死語」を今でも日常使いする旦那に影響を受けて

私には17歳年上の旦那がいる。そんな旦那が、3代目として継いだ小さな飲食店を切り盛りするのが私たちの仕事である。

うちの店はまだまだアナログな部分が多く、いまだにPOSシステムを導入していない。つまりオーダーを聞いたら手書きでメモし、厨房に声で伝えるというやり方をいまだに続けている。

たとえばお客様から料理の注文が複数あった場合、仮に「唐揚げとタコわさと豚の角煮」っていうオーダーがあったとする。そういうとき、

「えっと、唐揚げひとつと、タコわさと、豚の角煮、あっ、全部一つずつです!」

と言われるより、

「からあげ、タコわさ、ぶたかくにっ!」

とリズムよく言ってもらえると厨房にいる旦那はオーダーが頭に入りやすい。


そんなことを私が新人の学生バイトに伝えようとしたときである。旦那が横から話に入ってきて、

「ほら『巨人・大鵬・卵焼き』って言葉があるじゃん?あんな感じでリズムよく言ってくれるとわかりやすいんだよね」

と言う。おっさん、いつの時代だよ。悪いけど、そう思ってしまった。

「若い子がそんな言葉知ってるわけないじゃーん」

と言うと、えーそうなの?と不満げな表情を浮かべる。バイトも苦笑するしかない。


こんな風に、旦那の口からは日常的に死語が飛び出す。ほかにも「シャレオツ」という言葉なんかは出番が多い。

知らない人のためにいっておくと、バブル時代、単語の前後をわざとひっくり返して言う「業界用語」が流行っていた(らしい)。おしゃれをシャレオツ、サングラスをグラサン、寿司をシースーなどといったりするのが代表的なもの。

旦那は今出した3つの例を、すべて日常的に使っている。気分がのっている時なんかは「るーひーのシーメーはシースーでいい?(昼飯は寿司でいい?)」と業界用語だけで文を作ったりなんかしたりして、ひとりで満足げ。

そのたびに私は「言ってることを理解するのに無駄に時間がかかる!」と愚痴をたれていた。


ところが、である。

恐ろしいことに、私はさいきん自分でも気づかないうちに「オシャレ」のことを「シャレオツ」と言ってしまっていることに気がついた。とってもナチュラルに言っていた。いつから言っていたのだろうかと考えるも、思い出せない。

そのほかにも「なるへそ」とか「ガーン」とか、今ではほとんど使われなくなった80年代の「死語」がいつのまにか口をついて出るようになっていたのだ。

胸に小石を投げられたようなショックを受けた。


夫婦は似てくる、というのは本当だった。はじめは旦那を茶化すために、わざと旦那のマネをして死語を使っていたはずだった。

それなのに、なんども使っているうちにいつのまにか「自分のもの」として習得してしまっていたのだ。

物心がついたときにはバブルが崩壊していた世代の私にとって、あの頃の流行語、つまり現在の死語は、古くて新しい文化。今ではもっぱら楽しんでいる。


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