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『ヘベムニュラの落星(おちぼし)』09

(01) https://note.com/kobo_taro/n/n52895d13d196
(02) https://note.com/kobo_taro/n/n2fa61e863c7d
(03) https://note.com/kobo_taro/n/n3714e1ae6566
(04) https://note.com/kobo_taro/n/nc4c2e5954b4a
(05) https://note.com/kobo_taro/n/n4589cc684f0c
(06) https://note.com/kobo_taro/n/nc0ec2a2deef7
(07) https://note.com/kobo_taro/n/n468d588079f1
(08) https://note.com/kobo_taro/n/n4aa6dcd37612

 結果から話そう。ぼくは引き金を引いた。銃を撃ったのだ。
 場所は青山たちが悪い先輩たちとたまり場にしている、学校から十五分ほどの廃工場。工藤を探すのに時間は全くかからなかった。ぼくもここに連れ込まれてはよく殴られたからだった。きっと工藤は怖い思いをしているはずだ。
 廃工場につくと薄暗い屋内から下卑た笑い声が聞こえた。工藤のすすり泣きも聞こえる。ぼくは嫌な想像をした。ああいうクズどもが誰かを傷つける時、ぼくのような男にするよりも、女の子にすることは一種類多いものだ。ぼくは手の中の拳銃の重みを確かめる。刑事ドラマで見るようなリボルバー式の拳銃だ。予備の弾丸もうちの床下に隠してあるのはこの間の掃除のときに発見していた。これは一部をポケットに入れている。
 壁越しに中の様子を確認する。しっかりと見えたわけではないが、たばこの匂いに混じった肉と毛の焼ける異臭、そして工藤のおびえ混じりのうめき声はクズが何をやってるのか否が応でもぼくの脳裏に投影させる。ぼくの心臓は早鐘を打っていた。これは青山たちと対決することというよりも、これから人を殺すという緊張のせいだったと思う。ぼくは頭を壁の陰に戻して深呼吸した。一枚の壁を隔てた十メートルに満たないくらいの距離、青山と取り巻きの二人の合計三人。装弾数は六発。一発ずつ外しても大丈夫な計算になる。あえて体育着袋は外さない。取り巻きはそうでもないが、青山は賢いうえに、親父がやくざだと常々言っていた。その言葉を信じるならば本物の拳銃くらい触ったことがあるかもしれない。むき出しでリボルバーだと晒せば装弾数を把握されてしまうだろう。再びの深呼吸。急に静かになった。次は工藤に何をするつもりなのか。もう考えを巡らせている時間はない。三つ数えて飛び出そう。
 3,2,1……

 ぼくは飛び出した。
 しかし、そこにいたのは、先ほどまでぼくが観察していたような光景ではなかった。まず目に映ったのは青山の取り巻きの一人だ。両腕がまるで最初からつながっていなかったかのような断面で切られ、声を殺して痛みに耐えているようだった。そのわきで姿勢を低くし、呼吸を抑えている青山はかろうじて冷静さを保っているようだ。あとはおそらく工藤の制服の一部だと思われる切れ端の近く。そこにもう一人の取り巻きがおり、腰を抜かして工場の天井のほうを見上げてあわあわと声にならない声とともに小便を漏らしていた。工藤は、やや僕の側の金属の廃材が積まれた物陰へ隠れているみたいだった。

 ――いる。なにかが、いる。ぼくは失禁している取り巻きと同じ場所を見上げた。

 それは巨大な甲殻類の化け物だった。大型トラックほどの体長を持つそれは天井からぼくたちを見下ろしていた。化け物が鋭利な鋏を打ち鳴らすと、青白い火花が散る。正面についた目は獲物との距離を測るためのものだ。捕食者にちがいない。市波ならこの生き物をそんな風に分析しただろう。

 時間が凍ったような長い膠着に、先にしびれを切らしたのは向こうの方だった。甲殻類の化け物は器用に天井から飛び降りた。その鋏でまず、腕を無くした取り巻きの頭部を切断した。不思議なことに一切出血していないようだった。ぼくは目の前でなぞの怪物に人が殺され、悲鳴を上げるよりもその非現実感に言葉を失った。

 しかし、切断された勢いで中空を舞った頭部が足元に転がってきた工藤は思わず後ずさりした。工藤の肩にぶつかって積み上げられた廃材が崩れ、派手に音を立てた。

 化け物が工藤に向かって飛び出すのとぼくが化け物に向けて引き金を引いたのはほぼ同時だった。硬い外表にはじけた弾丸は、おもちゃの銃で空き缶を撃つよりも頼りない手ごたえだったが、工藤への注意がぼくに向くには十分な干渉だった。

「うあああ! ! 」

 ぼくは大声で自分自身を奮い立たせ何度も引き金を引く。そのたびに火花と弾丸の射線が化け物の体に跳ね返ってあらぬ方角へ明るい尾を引いた。化け物はぼくの攻撃の正体を把握しあぐねているのか、徐々に距離は詰めてくるものの、飛び出してはこない。再び引き金を引く。残り半分。もう一度引き金を引いて命中した弾丸がはじけた時、ついにぼくの攻撃が物の数に入るわけではないと踏んだのだろう。怪物が跳躍した。

 ぼくは間違いなく、この時死んだんだと思う。

 ――もしも残り二発の弾丸をあきらめずに打ち続けていなければ。
 装弾数全六発中五発目の弾丸が化け物の鋏にあたって真っ二つになった。銃弾が効かないことを思い知り、ぼくは慌てた。そのせいで六発目の弾丸を全く明後日の方向に撃ってしまった。しかし、瞬間、化け物の背後で爆発が起こった。

 流れ弾がガソリン缶か何かに着弾したのだと思う。振り返ってみれば管理の手を離れて久しそうなその場所は、そういうものがそのまま捨てあったとしても不思議ではない。あるいは、青山たちやその悪い仲間たちがここで給油もできるようにどこかからかっぱらってきて置いておいたのかもしれない。

 ぼくを真っ二つにしようと鋏を構えて跳躍していた背後を、爆轟で地面に叩きつけられた化け物は目を白黒させながらその場から逃げ出した。

 ぼくは思わず銃を取り落としてその場にへたり込んだ。周囲を見回す。青山はいない。逃げ出したのだろう。取り巻きの死体も何故か消えていた。工藤は――

「石田……」

 ぼろぼろに破れた制服の前を片手で抑えて、ぼくの目の前に立っていた。血と汗で肌に張り付いた彼女の長くてきれいだった髪の毛はタバコの火でまばらに焼き切られていた。それを目にして化け物のことはもうぼくの頭から抜け落ちてしまい、もっと早く勇気を振り絞ればよかったと後悔した。足をすりむいているのかぎこちない歩き方の工藤に肩を貸そうと思って、立ち上がるため下半身に力を込めた。しかし、ぼくは腰が抜けていてよろめいてしまった。
 逆に彼女がぼくの手をつかんで助け起こしたので、ぼくはちょっと恥ずかしかった。

 工藤は助け起こしたぼくの体を、あろうことかそのままぐっと引き寄せた。

「石田ってさ、結構かわいい顔してたんだね」

 はじめてのキスは涙と鉄の味がした。

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(kobo)

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