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ナポレオンの将軍達って、レアキャラだらけでかっこいいよね|歴史を調べて語るシリーズ vol.1

はじめに

みなさま、ご機嫌よう。

なんだか花粉がふよふよと漂っており、鼻水が止まらない今日この頃である。私とkoboくんの故郷は何を隠そう東京から1h程度離れた場所に位置する花粉の一大生産地であり、東京や周辺に住む花粉で苦しむ人々のヘイトを一手に買っても良いものだが、彼らは花粉に怒りを覚えこそすれ、それらがどこからやってくるのかを正確には知らない。

ちなみに、「花粉というものは地方から飛んで来る」と思っている人も多いようだが、東京23区に飛来する花粉の1/3以上は、東京の多摩地域から飛んできている。地方だけの責任にしようとした、そこの貴方。このポイントはぜひしっかり押さえておいて欲しい。

さて本題に入ろう。

今回のトピックは、「ナポレオンの将軍達」である。ナポレオンが非常に優れた戦略家であった点は良く知られているが、戦術に関してはそれを担う部下達が非常に優秀であった。

個人的には「レアキャラ揃いですげぇ...」と感じており、ナポレオンが数々の勝利をおさめる上で欠かせない存在だったのが戦術を遂行する将軍達であったと考えている。

今回はその中でも私が選ぶイチオシの四名を取り上げたいと思う。

一人目:ダヴー

一人目に取り上げたいのはダヴー(ルイ=ニコラ・ダヴー)だ。「鋼鉄の元帥」とも呼ばれている。最終階級は元帥である。

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15歳で陸軍士官学校に入校する。騎兵連隊に入隊後、フランス革命が勃発した。貴族、そして王国軍に属していながら共和主義に賛同した為、投獄されてしまう。しかし、政情が著しく変化した為、軍籍に戻った。

ナポレオンがフランス軍を指揮してエジプトへ侵攻すると、上官と共に、エジプト・シリア戦役に参加した。この時、ナポレオンに出会い、絶対的な忠誠を誓うようになる。ナポレオンが皇帝になると、元帥へ任命される。

ナポレオンがロシア&オーストリアを一気に撃破したアウステルリッツの戦い及びプロイセン王国軍を撃破したアウエルシュタットの戦いで目覚ましい活躍を見せる。

特にアウエルシュタットの戦いでは、自軍の戦力が約26,000人程度及び火砲45門だったにも関わらず、総兵力63,000人&火砲230門を抱えるプロイセン軍を、自軍2倍の損害を与えて潰走させる功績を上げた。...チート過ぎる。

ナポレオンのロシア遠征が失敗した後、主力軍が次々と撃破されていく中、敵の真っ只中でダヴーの軍は抵抗を続けた。降伏したのは、ナポレオンが退位した1ヶ月後だったとのことである。

彼と彼の率いる軍団は、大抵激戦区にアサインされることが多かった。その中で不敗を誇ったダヴーは最強の将軍といっても過言ではないだろう。規律を重んじ、口うるさい存在だった為か、俗物も多かったナポレオンの側近にとっては煙たがられる存在でもあったようだ。

二人目:マッセナ

二番目はマッセナ(アンドレ・マッセナ)だ。機動戦を非常に得意とし、何度もフランス軍を勝利に導いた。最終階級は元帥。あだ名は「勝利の愛し子」

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幼少期に両親を失い、その後13歳の時に武装商船の船員となる。船員を辞めて、フランス軍に入隊。

フランス革命が進行する中、確実に昇進を続け、2年で将軍にまで上り詰めた。オーストリア軍とイタリアで激突したリヴォリの戦いでは、オーストリア軍の背中を突き、勝利に貢献した。スイス方面に於ける司令官に任命されると、ロシア&オーストリアの同盟軍を打ち破った。

多大な功績を上げたマッセナであるが、占領地で略奪等を働くケースが多く、現地の民から反感を買うことが多かった。しかし、戦術を高度に遂行することに長けており、フランス軍を苦しめたイギリス側の英雄・ウェリントン将軍からも高い評価を受けた。

三人目:ランヌ

次にご紹介するのはランヌ(ジャン・ランヌ)だ。「大陸軍のアキレス」(※大陸軍とはフランス軍のこと。またアキレスとはギリシャ神話の英雄のこと。)とも呼ばれた。最終階級は元帥。

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農民の子供として生まれたランヌは、フランス革命が始まると軍へ入る。イタリア方面軍に従軍した際にナポレオンに出会う。イタリア戦線では非常に素晴らしい働きをみせてナポレオンを感嘆させたようだ。

特筆すべきは、ナポレオンがオーストリア軍を打ち破ったアルコレの戦いだ。三日間で3度も負傷したものの、戦い続けた。オーストリア軍に辛くも勝利したマレンゴの戦いでは、劣勢の部隊を指揮し続けて、オーストリアの大軍を半日支えた。凄まじい獅子奮迅ぶりだ...

アウステルリッツの戦いでは左翼を支えロシア軍を打ち破る働きをみせた。その後もナポレオンの軍団の中で中心的な役割を果たしていくことになる。

彼の大きな特徴は、その類稀なる「不屈の闘志」にあった。オーストリア軍との戦いの中では、「私は元帥である以前に擲弾兵である」と叫び、自ら梯子を掴んで城壁によじ登ろうとして見せ、奮い立った将兵と共にその拠点を陥落させる働きを見せた。ナポレオンともお互いに親友であると認め合い、大きな信頼を得ていた。

オーストリアとの交戦中、彼は戦死した。彼が亡くなった時、ナポレオンは「フランスにとっても、私にとっても、これほどの損失があるだろうか!」と嘆いたようだ。

四人目:ネイ

最後に取り上げるのはネイ(ミシェル・ネイ)だ。ナポレオンに「勇者の中の勇者」と呼ばれた。ワーテルローでの騎兵の突撃が映画等で有名である為、知っている方もいらっしゃるのではないだろうか。

以下はワーテルローにて突撃を敢行するネイの絵だ。

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元兵士で樽職人の父を持つ。フランス革命の中で頭角をあらわした。ナポレオンにその力量を見出され、元帥にも任命された。機動力でオーストリア軍に大損害を与えたウルムの戦いでは、オーストリア軍に対して巧みに立ち回り、包囲戦を成功させた。ロシア軍と激突したフリートラントの戦いでは右翼を担い、最終的にロシア軍を川まで追い詰めて撃破している。

ロシア遠征では、戦略が失敗に終わり、最終的に長い退却戦を戦い抜くことになるが、その退却戦を指揮しナポレオンから高い評価を受けた。

ナポレオンの最後の戦いとなったワーテルローの戦いでは前衛の指揮を行った。砲兵の支援を忘れたまま、突撃を行った為、有効打を敵軍に与えることができなかった。敗戦後、王政に戻った際に彼は銃殺刑に処された。

粘り強い性格で知られていたものの、判断ミスを犯して敵陣の只中で孤立することもあった。勇猛ではあったものの、大軍の指揮は不得手だったようだ。

その他

この他にも、ナポレオンの部下には優秀な部下が揃っていた。一例としては以下の通りだ。

ベルティエ:最終階級は元帥。ナポレオンの元帥として、正確かつ迅速に軍務をこなした。参謀能力が非常に長けており、ナポレオンからの深い信頼を得ていた。

ミュラ:伝説的な騎兵指揮官。数々の戦いで騎兵を率いて功績を上げ、ナポレオンをして「世界最高の騎兵」という賞賛を浴びた。元帥に昇進した後、失策が目立つようになり、最終的には逮捕され処刑された。

ジュールダン:優れた歩兵指揮官(元帥)。16歳からフランス軍に入隊。アメリカ独立戦争にも参加した。非常に政治的な流れを読むのがうまく、ナポレオンが重用した将軍達の中に於いて、生涯を通じて軍部に於ける重鎮として君臨したのは彼のみである。

ベルナドット:平民階級の出身。フランス革命の勃発後、急速に昇進し、将軍へと昇格。ナポレオンとは緊張した関係にあったが、アウステルリッツの戦い等で戦功を上げる。その後、スウェーデン議会に任命され、スウェーデンの王位継承者に任命される。後にナポレオンに対抗し、決定的な勝利を収める。カール14世ヨハンとして政務を摂った。

wikiには、ナポレオンの将軍に関する一覧ページがあるので、ご興味のある方はぜひご覧いただきたい。この記事は以下のページを底本としている。

階級の最上位に位置していた元帥を中心に取り上げたが、以下ページには中将や少将に関してもまとまっている。

【参考文献:大陸軍軍人一覧|ウィキペディア】

まとめ

いかがだっただろうか?

koboくんから話を聞いてびっくりしたのだが、日本の「世界史」に関わる文科省認定の教科書では、大体7ページ以上を割いてフランス革命前後の動きを説明しているらしい。

ただ、この記事で取り上げたような将軍達の活躍が描かれることは皆無である。ナポレオンに関してはスポットライトが当てられることが多いが、その華々しい活躍を支えていたのは戦略を遂行する将軍達であったし、そしてフランス軍の兵士達であった。この記事を通じて、彼らのことを知っている人が一人でも増えたなら非常に幸いである。

少し話は逸れるが、私は大の歴史好きである。今後もこういった形で、日本ではあまり知られていない、歴史の側面を取り上げていきたいと思う。

それでは、また。

(taro)

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