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1192年、鎖国政策、そしてティラノサウルス

暑くなったり寒くなったりと季節の変わり目らしい気候が続くが、みんなは体調はうまく維持できているだろうか。
ぼくは健康診断で肥満傾向を指摘されたので、食事を改善してウエストを9センチほど緩くした。"傾向"と表現したのはぼく自身は自分が肥満であることを認めていないからだ。確かにBMI的に見れば肥満と分類できる身長体重だったが、このBMIという指標をぼくは信じていない。同じ身長体重でも例えば格闘家のそれとただのおっさんのそれでは実態が異なるのは火を見るよりも明らかであろう。言うまでもなく前者が肥満なわけはないのだ。BMIは健康な人も不健康のカテゴリーに押し込める乱暴さを持っていると思う。なに?検診でそれを指摘されて食事内容改善してる時点で気にしてるじゃねーかって?おまけに減量成功して自虐を装った自慢のようだって?



うっせよばーか。ばーか。


さて、こんな風に専門家の方たちの見解によって定説は常に変動している。今回のテーマはそういう事柄の中から特に今一世を風靡し、一時期の鬼滅やエヴァやたまごっちもかくやと思わせるもの
――そう。恐竜について語りたい。
おい、いまそんなもん流行ってるのはお前の中だけだって言ったやつ。表に出ろ。礼儀作法についてお前のパパとママとその祖先だった恐竜たちに代わってきっちり指導してやらあ。


鎌倉は1185、鎖国政策とはもう教わらない。

鎌倉は1192と覚えた諸先輩方にはまことに申し訳ないが、今の子たちは1185と習っているし、江戸時代の鎖国は実態にそぐわない――つまり制限つきの交易は行っており、完全に外交を絶っていたわけではないため、今は"江戸時代の対外政策"と習う。常に定説は移ろうのだ。さて、あなたたちに問いたい。小さなころに見た図鑑の恐竜たちは爬虫類を連想させる鱗に覆われた再現図だっただろうが、やがて鳥類の祖先である可能性が唱えられ、いつか羽毛に覆われた姿で描かれるようになった。そう認識していると思う。

――恐竜に羽毛はあるのか。ないのか。


個人的には

あってほしくない。理由はカッコ悪いから。


1:55~

"最新の研究では全身に羽毛が生えていたと考えられている"

いやいやいやふざけるな。スピルバーグのジュラシックパーク(※)を見て育ったぼくとしてはこんなふさふさの愛くるしいティラノサウルスはティラノサウルスと呼ばれる別の生き物だ。なんだよ毛って二次性徴期なのか。そのうち白亜紀の地層から学校で一番美人のティラミスちゃんへ送ったラブレターが出土するのか?

だが、ぼくは安心した。ぼくの個人的な感情を抜きにしても、ジュラシックパークでは、恐竜の再現に足りない遺伝子を現存種のカエルのもので補填したという設定を持ち出さなくても、どうやら恐竜はふさふさではなくつるつるだったらしいのだ。すくなくとも、小さい頃に図鑑で見た姿そのままの恐竜も存在するのだ。

2011年カナダで見つかったノドサウルス科の新種は非常に有名で見たことがある人も多いかもしれない。

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泥の中でミイラになったこの子は、非常に忠実にその姿を保ったままの状態で発見された。まさに世紀の大発見である。どこに毛が生えているというのだ。恐竜好き怪獣好きの兄弟姉妹たちには今更だが、ぼくたちがあの頃、畏怖し、憧憬した恐竜そのままの姿なのだ。


羽毛説のはじまりユティラヌス

中国遼寧で発見された大型ティラノサウルス類がユティラヌスである。羽(yu)-Tyrannusの名の通り、羽毛をはっきりとその化石に残しているのだ。この恐竜の発見はそれまで小型恐竜だけに見られていた羽毛という特徴を大型恐竜も持つのではないかという説に信ぴょう性をもたらした。ティラノサウルスの仲間たちすべてが羽毛を持つかどうかという議論に拍車をかけ、この子の発見により、現在の羽毛つきの再現図が描かれるようになったのだ。


鱗か羽毛か

2017年になるとカナダのアルバータ大学の研究者らは、アメリカのモンタナ州で発見されたティラノサウルスの化石を調査した。この化石には皮膚の模様が残っており、少なくともこの部分については羽毛ではなく鱗に覆われていたことが判明した。


最新の研究では(カルノタウルス)

ティラノサウルスと直接の系統的つながりはないが、カルノタウルスは皮膚の化石が解析された。カルノタウルスの前進は円錐状の鋲が散在し、鱗に覆われていたということが分かった。羽毛はなかったのだ。鱗に覆われた皮膚は体温調節に寄与し、カルノタウルスが捕食動物として気温の変化にも対応して積極的に狩りに出られたことを示している。


まとめ

さて、ノドサウルス、ティラノサウルス、カルノタウルスと羽毛論争の起点になり得る発見について振り返ってみた。ぼくは羽毛によって見た目がダサくなることを除いては、かつての図鑑で描かれた姿から移ろう恐竜たちに好意的である。まるで恐竜は絶滅しておらず、まだ進化し続けているようだとは思わないだろうか。

ぼくたちが今こうして暮らしている場所がかつては海の底や火山、密林だったりして、その場所をぼくらとは似ても似つかない巨大な生き物たちが息づいていたという。それだけでもワクワクするのに、十年、二十年と研究が進むにつれて新しい発見とともに彼らのまた違った一面が垣間見える。

彼らの滅亡と繁栄を経て、地球での生活がぼくたちの手に渡された。考えてみてほしい。彼らが登場した2億3千万年前の地球と現在の地球は同じ星であって、まったく別の環境だ。別の惑星と言っていい。ぼくたちは恐竜を通じて異星の夢を見る。そして、たとえば2億年後のこの星はまた別の惑星のようなもので、きっとぼくたち以外の生命が地表を闊歩するのだろう。ぼくたちは恐竜を通じてこの星の未来を空想するのだ。

全く現在とは違う環境で生き物が存在した事実は、この広い宇宙のどこかに命のある星があるという期待ももたらしてくれる。恐竜とはただ過去の存在ではなく、ぼくたちの想像にまさしく"羽根"を与えてくれるものなのだ。


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(kobo)

(※)ティラノサウルスは白亜紀の恐竜であってジュラ紀ではない。ここ期末試験の範囲だから覚えておきなさい!



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