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まさかの熊本地震で被災。1年で東京に帰還-Ep5-

熊本県の農業法人に転職し
慣れない土地と慣れない方言に苦戦しながらも
大自然に心をうっとりさせ
毎日が新たな発見、学びでとても充実していました。

ようやくメンバーが揃った

農業法人の母体は居酒屋などを経営する飲食店事業を柱としており
地産地消に力を入れていました。
数年前から、地元の農家さんと取り組み野菜や米の生産をしていたようですが
規模を拡大したいとコンサルタントを入れ
新しく人手を募集していたところでした。

まさかの転職3か月で熊本地震に遭い被災。

今でもあの時の恐怖は忘れません。
ようやく収穫が始まって、これからというときに。

4月14日の午後9時半頃。
1回目の強い揺れを経験。震度6弱。
立っていられない。何が起こっているのか分からない。
電話もつながらない。あたりは真っ暗。
揺れは一向に収まらない。みんながパニックになっている。

恐怖のどん底でした。

そしてぐちゃぐちゃになった部屋を片付けようと思った次の日。
4月16日の深夜1時半頃。
2回目の強い揺れがきました。震度6強。
そこから半年以上続く余震に悩まされ夜も眠れない日々が続きました。
家の壁も崩れているのにどうすることもできない。

それでも畑は待ってくれないと
震災から4日目くらいからは避難所を行き来し仕事に行っていました。

様々なところに歪みが

世間も復興に向かって動き始めていた頃。
母体の飲食店もかなり被害がありそれでも周りの人たちに元気になってもらいたいと炊き出しをしたりと奮闘していました。
農業でも、復興支援として農産物を販売したり
一日でも早く立て直そうと必死でした。

入社当初はあまり厳しく言われていなかった数字の面で
だんだんシビアに言われるようになり
毎月の黒字化、コスト削減、維持費をどう捻出するか…
こだわりを優先するか、売り上げを優先するか。
農業は農業で売り上げをきちんと出してもらわないと
飲食店では面倒見切れない。
毎月の会議で指摘を受けるようになりました。

栽培技術の経験者、飲食店の経営経験者はいたものの
農業経営に関するプロはいなかったため
最善の解決策が見出せるはずもなく、だんだんすれ違い
雰囲気も悪くなる一方。

黒字化にできないんだったら辞めたほうがいいのではないか。
そんな話まで出るようになってしまい
結局、農園を事実上、閉園することになってしまいました。
せっかく熊本まできたのに何もできなかった。
自身の力不足を痛感した瞬間でした。
いくら栽培技術があっても経営に関する知識がなければ
何も役に立たない。
わずか1年で道が閉ざされてしまい
あまりにもショックが大きく、私には農業は向いていないかもしれない。
いっそのこと辞めてしまおうかと悩んでいました。

一筋の光

熊本に残って仕事を探そうか、農業法人に勤めようか
身内にも心配をかけたし、実家に帰ろうか、東京に戻ろうか…
こんなに悩んだことはないくらい悩んだと思います。

そんなある日のこと、ネットで東京で新規就農した女性のインタビュー記事を見つけました。

え?東京で農業ができるの?

その当時はまさか東京に農地があることすら知らずに衝撃を受けました。
そして脱サラして女性一人で農業を始めたということに感銘を受け
私もあきらめずにもう一度、農業に挑戦してみようかなと
希望を持てるようになりました。

大好きになった熊本に別れを告げ、再び東京に戻ることになります


つづく

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