オガワタケシ

都内某所で寿司屋を営む傍ら、古い江戸前の仕事や古典酒場のルーツや歴史などを調べています…

オガワタケシ

都内某所で寿司屋を営む傍ら、古い江戸前の仕事や古典酒場のルーツや歴史などを調べています。 回顧録程度と思って気軽に読んでくだされば幸いですが‥少しでも読者の方々に有益な情報を提供できればと思っていますので、でき得る限り文献も目を通すようにしています。 そのため更新は遅めです🙇‍♂️

最近の記事

江戸前探訪 其の八 江東区福住の天麩羅

前回の投稿から、だいぶ間が空いてしまいました💦 以前、天麩羅は天丼をテーマに書いたので、今回は王道の天麩羅です。 ひと口に天麩羅と言っても店によって流儀はだいぶ異なりますが‥ 今回ご紹介するのは、江戸前天麩羅の仕事を頑なに守っていると小生が感じた一軒です。 車海老と江戸前天麩羅の関係 天麩羅といえば車海老。 皆さんそう連想されると思いますが、これにはちゃんと理由があります。 車海老は昔、東京湾で沢山獲れたんですね。海老は長寿の象徴ですし、味も良いですがなんといっ

    • 江戸前探訪その七 中区末吉町の牛鍋

      小生の地元、横浜にやって参りました。 今回のお店、耳にしたことはありましたが学生時分には敷居が高く‥今回が初訪問です。 牛鍋も色々なスタイルがありますが、こちらのお店が分かりやすいと思いまして、今回は江戸前探訪の番外編です。 牛鍋の歴史桜鍋の回で少し触れましたが、肉食禁止のお触れが出ていたものの、江戸の終わり頃になると隠れて食べていたそうです。「ももんじ屋」と呼ばれる肉料理屋もありましたし、馬肉を「さくら」、猪肉を「ぼたん」「山鯨(やまくじら)」、鹿肉を「紅葉(もみじ)」

      • 江戸前探訪其の六 日本橋人形町の天丼

        さて。 今回は天麩羅なんですが、これがなかなか筆が進まない💦 いや、今時の東京じゃあ食べるとこなんて幾らでもあるんですが‥ 天麩羅は寿司、蕎麦、鰻に比べて情報が少ないですし、其のルーツや語源、東西の天麩羅の違いなど挙げたらキリが無いんです。 取り敢えず、初回は『天丼』のお話を。 天丼というと、チェーン店の天丼か、天麩羅コースの〆のミニ天丼。はたまたコースの天麩羅揚げてる店の昼限定メニューっていう印象が強いんじゃあないでしょうか? 調べてみると、これが結構面白い。 現

        • 江戸前探訪其の五 台東区日本堤の桜鍋

          小生、横浜の出身なのですが、洋食と並んで牛鍋の文化があります。一方、東京では昔から桜鍋が好まれていたそうですね。 火を通すと綺麗な桜色になるからだとか、桜の時期になると馬肉が美味しくなるからだとか、諸説ありますが‥ いづれにせよ、日本の食文化の歴史において度々発せられる食肉禁止令の中で、隠語として使われたのが発端のようです。猪肉=牡丹なども同様ですね。 その桜鍋のルーツがここ、日本堤だそうで。 近隣の三ノ輪の百姓が遊ぶ金欲しさの為に売り出した農耕馬を、鍋にして売り出したの

        江戸前探訪 其の八 江東区福住の天麩羅

          江戸前探訪 其の四 麻布十番と築地の更科蕎麦と変わり蕎麦

          何にでも、三大〇〇ってのがございますね。 日本三景、三大祭り、最近は三大名瀑(滝)なんてのもあるそうで。 蕎麦の世界にも三大蕎麦、または御三家があります。 江戸前の蕎麦に関していうと、『薮』『更科』『砂場』がそれに当たります。 前回ご紹介した雷門近くのお蕎麦屋さんは『藪』系なのです。蕎麦の実の外側にある甘皮を一緒に挽くため、風味や味が濃く、それに合わせる蕎麦つゆも辛め(塩分が強い、醤油味が濃い)です。 今回は更科蕎麦を取り上げます。 小生が注文した更科蕎麦です。 扉

          江戸前探訪 其の四 麻布十番と築地の更科蕎麦と変わり蕎麦

          江戸前探訪其の三 台東区雷門のおかめそばと花まき

          柳橋の刃物屋さんに所用がありました。 天然砥石から鉋まで、職人の街よろしく本職の方々の信頼に長年応えてきた老舗です。 其のお話はまた次回に譲るとして、帰りに少し足を伸ばして浅草で蕎麦を手繰ることにしました。 蕎麦は小生の好物の一つでして、こちらのお店にも定期的にお邪魔しています。直ぐ裏手に稲荷寿司の名店がありまして、そちらで折りを作ってもらってから伺うというのが最近のお決まりです。 テーブル席もあるんですが、座敷で頂くのが小生流です。写真の中央に、昔懐かしいお帳場も見え

          江戸前探訪其の三 台東区雷門のおかめそばと花まき

          江戸前探訪そのニ 浅草のどぜう鍋

          昼は江戸前寿司でしたので、そこまで空腹でもなかったんですが軽くどぜう鍋でも‥ということで、夕刻時にお邪魔しました。 創業は江戸後期。埼玉から江戸に奉公に出てきた初代が飯屋を開き、店の前は浅草寺の参道になっていたこともあって当時からやくやく大変に繁盛されたそうです。 もともとは『どじやう』『どぢやう』の表記だったらしいですが、火災に遭って以来、4文字は縁起が悪いということで現在の『どぜう』の表記になったらしいです。縁起を担ぐ、まことに江戸時代らしいエピソード。 昔は今ほど

          江戸前探訪そのニ 浅草のどぜう鍋

          江戸前探訪其の一 佃島の佃煮

          ひょんなことから江戸前、要は東京の食べ物や風俗を知りたいと思い、休みの日にお店を訪ねることにしました。 ところがひとくちに江戸料理の研究と申しましても、調べてもあまりに情報がありません。もちろん寿司や天ぷら、うなぎ、そば、どぜう鍋やねぎま鍋などのお店はありますが、こと江戸料理となりますと‥google先生にお伺いしましてもあまり良い返事は貰えません。 こうなると、今はなき大塚の名店Nさんにもう少し早くお邪魔していれば‥と、とても悔やまれます。 そんな折、或るお客さまから

          江戸前探訪其の一 佃島の佃煮