見出し画像

江戸前探訪 其の八 江東区福住の天麩羅

前回の投稿から、だいぶ間が空いてしまいました💦

以前、天麩羅は天丼をテーマに書いたので、今回は王道の天麩羅です。

ひと口に天麩羅と言っても店によって流儀はだいぶ異なりますが‥

今回ご紹介するのは、江戸前天麩羅の仕事を頑なに守っていると小生が感じた一軒です。

車海老と江戸前天麩羅の関係

車海老

天麩羅といえば車海老。

皆さんそう連想されると思いますが、これにはちゃんと理由があります。

車海老は昔、東京湾で沢山獲れたんですね。海老は長寿の象徴ですし、味も良いですがなんといってもハッとする色目。衣を付けると、殆どの魚が地味な色になってしまう中で車海老の綺麗な赤は貴重なんですね。
和食でも差し色として良く使います。

実は天然の車海老は、夏のほんの一時期しか入荷が無く、殆ど養殖です。ただ、天麩羅屋としては天然かどうかよりも鮮度、特に活けかどうかを重要視する傾向があります。

今殆どの天麩羅屋さんが年間を通じて車海老を揚げているわけですが、それも養殖の技術や流通網が完備している現代ならではなんですね。
(とはいえ、もう100年以上の歴史があります)

因みに、海老や蟹などは死んでしまうと(『上がり』という)鮮度落ちが早く、価値が半減してしまい‥値段も半値以下となります。小生も毎日、海老屋さんに顔出しますが、夏の車海老の上がりは半端じゃないです💦夏は車海老のトップシーズンですが、水温も高く、海老自体も活かすことが難しいんです。

※因みに、この『上がり』という言葉‥江戸っ子の気風から来た言い回しです。死ぬってのは言葉にすると縁起が悪い。そこで、逆に福にしようと考えた。江戸時代に流行った双六の上がりに掛けて目出たし、メデタシ、と。(諸説あります)

小魚こそ、江戸前天麩羅の真骨頂

江戸前の海、つまり東京湾には大型の魚はいないんです。潮の流れに沿って遠距離を回遊する大型種は湾内に入りにくいからですね。

加えて江戸時代、天麩羅が流行った頃は沖合に舟を出すのも一苦労ですし、隅田川や浅瀬にいる小さな魚介類がメインの天種になったわけです。


しかし、ここで問題があります

このような小魚は水分が多く、ヌメりや癖が強いんですね。特に汽水域といわれる河口付近の淡水と海水が入り混じるエリアの魚は泥のニュアンスが強い。

強烈な旨味もなければ、脂が乗っているわけでもない。加えて冷蔵設備も当時は無いので、どうしても鮮度が落ちる。

仮に鮮度が良いものでも、刺身にしても強い旨味があるわけでもなく‥美味しく食べるにはハードルが高かった。

ところがこの小魚、揚げるという料理法と抜群に相性が良かったんですね。

最初は試しに揚げてみたら、意外に食べられた!くらいな所からスタートしたんだと思いますが、揚げることで小魚特有の悪いところが目立たなくなった。

つまり、焙煎した胡麻油の香りで小魚の臭いを消すことができたわけです。

江戸前天麩羅=胡麻揚げ たる所以です。

東京の天麩羅屋さんが今でも小魚(特に車海老や芝海老、鱚に女鯒、穴子や鯊)を揚げることに拘っているのは、こうした歴史と背景があるんです。

脱水という、江戸前天麩羅の技術

女鯒

小魚が天麩羅に向いているのには、もう一つ理由があります。

日本橋に魚河岸ができた江戸時代、その周辺には天麩羅屋が軒を連ねていたようです。

最初は素揚げからスタートして、衣をつけたり、内臓や鱗、骨の処理など、時代が移ろう中で少しずつ洗練され今の形になった。

江戸時代→明治→大正→昭和→平成→令和と時代が変わり、東京湾以外からの食材が手に入るようになりました。鮮度も比べ物になりません。

蟹や喉黒を揚げる店もありますし、魚以外で野菜や肉の天麩羅も一般的になりました。もちろん、食材によっては天麩羅と相性の良い食材もあります。

でも、東京の天麩羅屋さんは江戸前の小魚に拘るんです。なぜか。

小魚は天麩羅という技法によって、はじめておいしくなるからです。

例えば、鯊(はぜ)。
刺身で食べても、佃煮にしても淡白な味わいなんですが、天麩羅にすると極上の味になります。

揚げることによって程よく水分が抜け、旨味が濃くなるんですね。

例えば新鮮な鯵を焼くよりも、干物にした方が旨味が強いですよね?干すことで水分が抜けて味が濃厚になるからですが、それを揚げるという技術ひとつで表現しているのが江戸前の天麩羅で、とても理にかなった調理法なのです。

江戸前天麩羅と野菜

稚鮎

はじめてこちらのお店に伺って、車海老を口にした時の衝撃は未だに忘れられません。

言葉では上手く表現できないのですが‥ギリギリなんですね、火入れが。これ以上火を入れると台無しになる一歩手前なんです。そこまで攻めて揚げることで初めて生まれる美味しさがあることに気付かされました。

こちらでは9割以上が魚で、野菜は殆ど揚げません。小魚を揚げることに特化した衣と油、揚げ方なんです。

もちろん江戸時代にも野菜の天麩羅はあったと思います。禅寺の精進揚げが天麩羅のルーツのひとつと考える説もあり、現代でも野菜の美味しい天麩羅屋さんもあります。

ただ江戸時代に、隅田川や神田川などの河川を水路とし、その周辺に魚河岸や天麩羅屋が軒を連ねていた当時の風景を思い浮かべると、やはり江戸前の天麩羅はそこで採れた魚がそのルーツなのかなぁ、と天麩羅を口にしながら考えたりいたします。

天麩羅はまだまだ奥が深いですし、また回を重ねてご紹介できたらと思います。

では今回はこのへんで!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?