江戸前探訪其の五 台東区日本堤の桜鍋
小生、横浜の出身なのですが、洋食と並んで牛鍋の文化があります。一方、東京では昔から桜鍋が好まれていたそうですね。
火を通すと綺麗な桜色になるからだとか、桜の時期になると馬肉が美味しくなるからだとか、諸説ありますが‥ いづれにせよ、日本の食文化の歴史において度々発せられる食肉禁止令の中で、隠語として使われたのが発端のようです。猪肉=牡丹なども同様ですね。
その桜鍋のルーツがここ、日本堤だそうで。
近隣の三ノ輪の百姓が遊ぶ金欲しさの為に売り出した農耕馬を、鍋にして売り出したのが始まりだとされています。
吉原の目の前の立地ということもあり、当時は桜鍋の店が軒を連ねていて大層繁盛したそうです。今回は明治38年創業のお店にお邪魔しました。
肉の部位も色々選べるんですが、一番スタンダードなロースを選択。鍋中央部の脂身の下に、味噌が隠れてます。食べ方としては、鍋が沸々としてきたら味噌を溶いて、溶き卵に付けて食べる、と。ロースといっても牛肉と違い脂は少ないので、火の通し過ぎは厳禁です。
味噌味で食べさせるのは牛鍋と共通してますね。
創業当時は横浜の牛鍋を意識した、とスタッフの方が仰っていましたので、そういうことなんでしょう。
肉をある程度食べ終わってから、野菜類(ザク)を投入。どじょう鍋なんかと一緒で浅鍋なので蒸発しやすいです。焦げないように割り下と水を刺すのを忘れないように‥。
オプションで、残りを卵綴じにできます。
豆腐入りです。『あとご飯』というそうです。
砂糖の甘味が効いた、いかにも江戸前!の味です。
七味も合います。
さて、食事後ひと息ついてメニューをめくっていると、店の歴史が目につきました。
創業翌年に日露戦争勃発、続いて吉原大火に被災。
関東大震災に被災し、店舗倒壊。
2度の世界大戦。戦後は食材不足でやむ無くどじょう鍋を提供‥。
唸ってしまいました。
さすが100年以上続いている老舗は違いますね。
逞しい。
開業してまだ4年のくせにコロナ禍だなんだと騒いでる小生は、一笑に付されそうです‥(汗)
閑話休題。
お腹も心も満たされたところで少し辺りを散策します。
遊ぶ前にこの桜鍋を食べて精力をつけたことから、『馬力をつける』という言葉が生まれた、なんて話もあるそうで、桜鍋と非常に縁の深い吉原。
『ひやかし』も吉原由来です。
浅草紙を作る職人が、近くの橋で材料を水で冷やして置いておく間、吉原をひと回り見て回った事から、見るだけで遊ばない客を指す言葉になったそうで。
↑吉原の入口のS字カーブ、五十間通り。
いくら幕府公認とはいえ、遊郭が外から丸見えじゃあ決まりが悪いって事ですね。
下が有名な『見返り柳』。
この柳の下で、吉原を後にする男性たちが名残惜しそうに振り返ったのだそうです。
桜の名所でもあり、浮世絵にも度々登場しています。
今の吉原とは違い、随分と華がありますね。
勿論、吉原には影の部分も随分あります。
1987年公開の映画、『吉原炎上』はその部分をかなりリアルに描いています。ですが今回、そこには触れません。小生の本分はあくまでも寿司職人です。
論客になるつもりなんて、ありません。
当時、この地で懸命に生きた人たちがいた。
そのエネルギーが吉原を作り上げ、その過程で桜鍋が誕生した。それが分かっただけで十分です。
またひとつ、江戸前の真実に近づきました。
芸の肥やしにします。
それではっ!
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