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江戸前探訪其の六 日本橋人形町の天丼

さて。
今回は天麩羅なんですが、これがなかなか筆が進まない💦

いや、今時の東京じゃあ食べるとこなんて幾らでもあるんですが‥ 天麩羅は寿司、蕎麦、鰻に比べて情報が少ないですし、其のルーツや語源、東西の天麩羅の違いなど挙げたらキリが無いんです。

取り敢えず、初回は『天丼』のお話を。

天丼というと、チェーン店の天丼か、天麩羅コースの〆のミニ天丼。はたまたコースの天麩羅揚げてる店の昼限定メニューっていう印象が強いんじゃあないでしょうか?

調べてみると、これが結構面白い。

現代の嗜好に合う、サクッとした食感は求めない。
衣も、フリッターのように わざと厚衣にする。
昼しかやってない。
そもそも天丼しかない。

そんな一見、時代に逆行するかのような、ストイックな天丼専門店がまだ東京にはあるんです。

今回はそんな頑固さが微笑ましい、天丼のお話です。

江戸時代の天麩羅とは?


上は、深川江戸資料館の常設展示室内にある江戸時代の天麩羅の屋台を再現したものです。

串が刺してあるのがお分かりでしょうか?初期はこのような串揚げスタイルか、若しくは揚げたものを自分で串に刺して食べる↓のスタイルが一般的だったそうです。

で、左の壺に入っている天つゆを付けて食べるわけですね。形態は違いますが、2度付け禁止の串カツ方式です。大根おろしを添える店もあったようです。

因みに、上の写真の天種は小肌です。
今の東京の天麩羅屋さんで出しているところは殆ど無いんじゃないでしょうか。光物を揚げること自体珍しいですからね。

今の天麩羅っ食いに出してみたいモンですねぇ。
歴史を知らなければ、『こんなの邪道だ!』ってことになるんでしょうが‥💦調べてみると初期の頃は、鰹なんかも揚げていたようですよ。

江戸四大名物の中で、遅れをとった天麩羅

天麩羅は四大名物の中で、いちばん店の成立が遅かったんです。油の搾油技術が向上し、また油の原料の生産が増え、油がある程度普及するようになるのが江戸中期〜後期ですから、仕方のないことなんですが。

江戸前天ぷらは胡麻油の印象が強いですが、菜種油の方が一般的だったようです。ですが広く普及するまではそれも貴重品で、揚げ油としてより、灯明用として用いられる事が多かったそうです。

魚油(灯油)の文字が見えますね。庶民は魚油が一般的だったようで‥。臭くて我慢ならん!と当時の書物にも書いてあります💧

油で揚げる料理を『南蛮』と言いますが(南蛮漬けなど)油で揚げる料理が普及する転機となったのが精進料理なのだそうです。安土桃山時代といいますから、そこまで昔でもないですね。食材としては、豆腐が多かったようです。

屋台の天ぷら屋と、お座敷天麩羅

江戸庶民は木造の長屋暮らしが一般的で、江戸時代はしょっちゅう火事がありました。火を使う天ぷら屋は幕府から屋内営業を禁止されており、結果として屋台で売る方式が定着しました。

幕府の威光が落ちてきた江戸後期になると、屋内営業をするところも出てきたり、またお座敷に天麩羅を卸す店、お座敷に上がって揚げたての天麩羅を出す店など多様化してきます。

現代でもお座敷天ぷらを掲げている店がありますが、その流れを汲んでいる老舗が殆どです。当時は花街が江戸のあちこちにあった時代。天麩羅と並んで寿司屋もよく呼ばれ、大層繁盛したようです。

現在の良く見かける、揚げたてをカウンターで提供するタイプは、このお座敷スタイルの流れを汲んでいる部分も大きいです。

その対極にあるのが、今回のテーマである天丼です。

江戸前天丼の流儀 其の壱 『黒い』

クラシックの江戸前天丼の一番の特徴はその色。

その要因は ①焙煎胡麻油②丼タレ です。

今の高級店では、使う胡麻油は太白胡麻油が殆どなんですが、胡麻油は焙煎した方が絞りやすいんです。

当時は焙煎した胡麻油が一般的だったんでしょう。加えて、まだまだ油は安価ではなかったので、継ぎ足し、継ぎ足し使っていた。製油技術も高くなかった。相当、胸焼けしたでしょうねぇ💦

この油で200度近い高音で揚げると、衣が真っ黒になるんです。

②の丼タレですが、クラシックスタイルでは、揚げて丼タレに潜らせてからご飯に乗せます。
丼タレは継ぎ足しなので、揚げ油の香りのする、ちょっとスモーキーなニュアンスの天丼になります。

丼タレ自体も年々、甘さや醤油は控えめになっているようです。このあたりは好みも分かれるので難しいところですが。天丼専門店としては、昔の味付けに近い方が満足感は高く感じますね。

因みに、↓のお店の天丼は昭和初期創業の老舗なんですが、HPを見ると太白胡麻油の生一本に拘っているようで。

色も、さほど黒くないですね。

丼タレは上から回しかける現代のスタイルですが、下町風の甘っ辛いタイプでパンチがあります。食べた感想とビジュアルは、クラシックとモードの間くらいのニュアンスの天丼です。

江戸前天丼の流儀 其の弍 柔らかい食感

どちらも、サクッとした食感はありません。
サクッと揚げても、わざと蓋をして蒸らし、フニャっとした食感にする店もあります。

今の天麩羅の主流である、『薄衣』『サクッとした食感』『軽い風味』とは真逆です。わざわざ厚衣にする店も少なくありません。

タレが染み込んだ、柔らかい食感の天麩羅と白いご飯との一体感や、丼ものとしての完成度や満足感‥
つまり丼としての美味しさを追求した結果なんですね。

『色が黒い』
『衣が厚い』
『サクッとしてない』

など、食べ慣れてないと天丼専門店のそれは一見、印象が良くないかもしれませんが実は、狙って作っている事が分かります。

時代と共に、天麩羅は薄衣が好まれるようになり、軽い食感と風味が尊ばれるようになりました。食材の持ち味を生かす、という事以外にその裏には、健康志向の時代背景も大きいんです。

因みに、丼ものとしての歴史は鰻丼が一番早く、江戸時代前期には原型が完成していた、という説もあります。

鰻屋さんも同じ屋台組でしたから、それを真似て天丼を作ったんでしょう。それからというもの、時代と共に天麩羅の屋台は天丼が主流になっていったようですね。

まだまだ、天麩羅にまつわるお話は話せばキリが無いんですが、今日のところはこのへんで。

今でも、日本橋、人形町、水天宮、茅場町辺りは天丼専門店が軒を連ねてますから、散策ついでに回ってみるのも楽しいですよ。

それではまた次回!

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