転勤族の妻だからってなめんなよ
私は、何を隠そう転勤族の妻である。引越は、学生時代、就職してからで10回近く、結婚してからは7回経験している。引越のノウハウや経験談はまた別の機会にさせてもらうとして、今日は先日私に投げかけられた、転勤族の妻をバカにするような発言に対して物申したい。
仕事をずっと控えてきた過去
2013年、私は東京で暮らしていた。結婚予定であった当時の彼氏(現在の夫)と一緒に暮らすため、自分は仕事を辞め、彼氏の職場のある東京に住んでいた。
その年のクリスマスに入籍し、年明けの2014年1月、さまざまな偶然が重なって得ることができた契約社員の仕事を始めた。しかし働き始めて一年後、夫の転勤が決まりその仕事を退職。仕事は楽しかったが、東京に自分だけが残って仕事を続けるという選択肢はなかった。
「転勤がありますので」
その後、夫は、一年ごと長くて二年で各地を転々とする。それについていく私。家族がひとり増え、ふたり増え、それでも続く転勤。行く先々で「お仕事は?」「ご職業は?」と聞かれても、「いえ、夫の転勤がありますので」と答える私。その返答に何の違和感もなければ、何の疑問も抱かず月日は過ぎた。
気づけば10年が過ぎていた
そして10年もの間、外で仕事をすることが一度もなかった。その間、家で子どもの相手をし、つたない家事をし、日々特にこれという目標もなく、成長もなく、向上心もなく、ただダラダラと時間だけが過ぎていった。私の仕事の知識は時代遅れになり、経験も積まれず、ただの役立たずになっていった。自由に時間を過ごしすぎたせいで、時間のマネジメント能力もなく、考え方は偏り、ストレス耐性が低くなり、我慢の利かないない体になった。
外に出る
そんな私が唯一、自分の居場所を見つけた。それは図書館である。子どもの本を借り、自分の本を借り、図書館に頻繁に出入りするようになった。そこで開かれる読書会にも参加するようになった。読書会は平日昼間に開かれる。平日昼間、大歓迎。何といっても私には時間がある。だって転勤族の妻だから。仕事を始めてもすぐ辞めなければいけない、だから仕事なんて始められない、だって私は転勤族の妻だから。そんな私がひょんなことから仕事を始めることになる。
転勤族の妻、リクルートされる
その読書会で、出会いがあった。読書会のメンバーはだいたい固定で本のことは話すが、自分が何者かということは基本的には話さない。ただ、時に本のことと自分の仕事のことを交えて話す人もいる。紹介する本が仕事に関する本になる場合だってある。そこで、今の同僚に出会った。ある日読書会の終了後、あれこれと話すうちに話が仕事のことになり、同業だと判明した。私が今は仕事をしていないと答えると、彼女は「ねえ、良かったら一緒に働かない?」と持ちかけてくれた。
資格はある!でも経験はない!
一応、国家資格保持者なのであるが、私がそれを使って働いたのは3年間しかない。経験が不足している。そのことを、誘ってくれた彼女に正直に話したが、いいのよ!大丈夫!との返事。
えいっ、と、思い切ってやってみることにした。すると、その同じ資格がらみで、次々と仕事の話がきた。「どのくらいシフトに入れますか?」「こちらにもきてもらえますか?」びっくりした。結局、今、2つのところで仕事をさせてもらっている。そして、来月、もう一箇所仕事場が増えそうなのである。
嫌味はある日突然に
仕事を二箇所で始めて、1ヶ月ほど経ったころ、ある場所で、夫の上司の奥様に出会った。夫の上司も夫同様、元々は転勤を重ねていた。つまりこの奥様もまたかつては「転勤族の妻」だった人である。奥様はなぜか私が複数の仕事を手にしたことだけはご存知で、私の事情もよく知らぬままこうおっしゃった。
「ある人がね(Kobayashiさんは)あちこち顔出してるけど大丈夫なのー?って私に聞いてきたの。知らなーいって答えておいたわ」
…えーっと、それは何の報告でございますか。こちらの御婦人は本当に上司の奥様でございますか。転勤族の妻だった方でございますか。それはワタクシの大きな勘違いなのでございますか。要するに、嫌味を言われたということで良いのでございますか。
怒りの炎が青く静かに私の中で燃え上がったかと思うと、その青が瞬く間に広がって、今度は全てを凍りつかせた。無になった。
笑ってその場は流しておいた。
誘ってくれた同僚に相談
この、言われた言葉一字一句を、今の仕事に誘ってくれた同僚に話した。
「そんなにあちこち顔出して大丈夫?」と言われたその裏に「あなたまたどこかへ引越していくでしょうに、無責任じゃないの?」と言われている気がして悔しかったこと、自分は無責任でやっているつもりはないこと、今ここでやれることをやろうと思って仕事を始めたこと…と、そこまで言って私は泣き出してしまった。くやしかった。
でも、無責任だと言われれば、そうなのかもしれない。夫が転勤族の身であることは変わっていないわけだし、この後、どうなっていくかはわからない。そこを突かれて、強く言い返せない自分がいるのも事実だった。
「楽しい方を選んで切り拓いて来たんでしょう?」
泣いている私に向かって、同僚は言ってくれた。
「そんなの気にしなくていいじゃない。だって、これまでだって、やりたいと思ったら、それを選んで、楽しい方を選んで、切り拓いて来たんでしょう?良いのよ、言わせておけば」
それを聞いて私はまた泣いた。うれしかった。
今ここで力を出す
東京時代、一緒に働いていた人からこういうふうに言われたことがある。
「どんなにすごい人でも、その人がいなくなったらいなくなったで、残された人たちはなんとかやっていくものだよ」
その通りだと思う。
私自身、すごいわけでもない。すごい人がいなくなっても残された人たちはなんとかそれを乗り越えるのだから、すごくもない私がいなくなった時のことなんて、そんなに深刻に考えなくてもいいのであろう。
私は明日ここを去るとしても、今できることを全力でやりたい。
いなくなる時のことを考えて踏みとどまっている自分にはさよならだ。やりたい。とにかく今はこの目の前にある仕事がしたいのだ。そう強く思える仕事に出会えたことに感謝だ。繋いでくれた同僚に感謝だ。こんなこと、10年前に仕事を辞めた時には考えもしなかった。でもこれが現実。私は進む。自分がやりたいと思った方へ。楽しいと思った方へ。
これだけは声を大にして言いたい
転勤族の妻が仕事を持つことに関して、自分が経験した悲しい思いを他の誰にも経験してほしくはない。
偏見にまみれた考えによって誰かの無限の可能性が奪われていいはずがない。
全ての転勤族の妻よ。
どうかあなたらしくいてほしい。
思った方に羽ばたいてほしい。
自分を信じて進んでほしい。
必ず、必ずや、あなたのことを見ていてくれて、あなたのことをわかってくれて、あなたのことを励ましてくれて、あなたのことを認めてくれる人がいるから。
最後に。
転勤族の妻を(誰に頼まれたわけでもありませんが勝手に)代表して、世の中の皆様に申し上げます。
どうか、転勤族の妻のことをもっともっとご理解ください。そこに住む期間が短くても、今暮らす場所を思い、その土地の人々のために、社会のために何かできることはないかと考え暮らしている者がおります。その思いを聞きもしないうちに決めつけ、心許ない言葉を投げかけることは、なにとぞ控えていただきますようお願い申し上げます。
どうか、転勤族の妻だからっておなめになりませぬように。
もう一度申し上げます。
「転勤族の妻だからってなめんなよ」
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