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オンラインで教育について語る会。

今日はジェンダーと教育格差について語る会を開きました!
その内容や、話してて勉強になったことを忘れないように書いておきます。

これの経緯としては、苅谷さん、濱名さん、木村さん、酒井さん著の『教育の社会学』を読んだことがきっかけです。この本は人権教育ゼミの参考図書になっていたので図書館で借りて読みました。

「不登校」「幼児教育」「ジェンダーと教育」「学歴社会」の4パートからなっていて、章の最後にはThink Yourselfと題して、それぞれのトピックについて考えさせられる設問が載っています。これにより、誰かと話したい!!!欲が出ました。

参加者は高校の友達3人、大学の友達3人、留学先の友達1人でした。このうち2人は私から誘ったけど、その他の人は全員、インスタグラムでの呼びかけに手を挙げてくれました。(なんて恵まれているんだ、嬉しい限りです)

というわけで、私が一方的に本から得た知識を話し続けても面白くないので、前半はジェンダー、後半は教育格差についてみんなで話す会を設けることにしました。

何をしたのか

私の意図も交えて書いていきます。まず最初に私が見せた資料はこれ。

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舞田さんがツイッターでシェアしていた画像をお借りしました。ジェンダーについて話すとはいえ、男女で分かれていることの何がいけないんだ!と思う人もいるかと思って、先に男女でどんな不平等が出ているのかを提示しました。

そもそも、大学進学が当たり前でないということ(後半の教育格差への伏線)と女子の進学率が圧倒的に低いということを示したかったからです。

ジェンダー
なぜ男女で差が出てしまうのか?それは男女で隠れたカリキュラムが違い、期待される結果が違うからではないか。つまりジェンダー概念が関わっているのではないか?という私の意見を述べた上で、それぞれの学校ではどうだったか考えてもらうことにしました。

私が与えた切り口は「男女別名簿、席、制服、校則、体育、部活動、性教育、専門科目」です。本にはどうして制服が生まれたのか、どうして男女で違うのかなど詳細に書かれていたのですが、あえてそれには触れず自分に置き換えて話してもらうことにしました。その方がぜっっっっったいに記憶に残るし、日々の生活に違和感を持ちやすくなると思ったから。

出たエピソード↓↓
・男女別名簿あった
・制服に付随して、どうして男性はスカートを履かないのか
・男性は髪に関する校則もあった(短くなければいけない)
・性教育は男女別だった/同じだった
・マネージャーといえば女子
・甲子園に女子は出られない(土俵とか「神聖な領域」に女性は入れないという風習)
・理系は男性、文系は女性
・「男の子なんだから泣かないの!」という発言
・保護者のことを「お母さん」と呼ぶ(この手紙お母さんに渡しておいてね〜的な)
・呼び方が「さん」「くん」と分かれている

などなどいろいろなことを話しました。

このトピックで特に印象に残ったこと以下の2つ

1. 医療関係の友達が1人いたのですが、その人が科学的視点で脳の使い方や行動の違いを教えてくれました。でもやっぱり、私としては、それは生まれ持った能力ではなくて、生きているうちに獲得したものだと考えるので、脳の使い方が違うという性差は染色体に起因しているというよりは、「男として」「女として」社会で生きていくために必要なスキルを後天的に身につけたんだろうなと思いました。

2. 制服の役割について。私は、制服があることで毎日違う洋服を選ばなくて良いから楽だと思っていた。また、私服が複数なくて毎日同じものを着なくてはいけないという子どもへの配慮になると思っていた。でも、逆にその貧富の差が見えずらくなるという意見が出た時には、ハッとさせられた。確かに〜〜

教育格差

次に見せたのはこのグラフ。
授業のプレゼンで使ったのをそのまま見せた...(楽をした)

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これはワシントン州の例だけど、親の収入と子どもの成績に相関関係があるっていうグラフ。これの何が問題なのかというと、高い人は高いまま、低い人は低いまま、世代を超えてサイクルが続いていくこと。なんかめんどくさくなってしまっったから詳しく書くのはやめる。笑

で、語る切り口としては、自分がどういう教育を受けてきたのかということ。教員志望の人はザ・意図的な養育を受けていた。予想通りだった。

あと教育者が子どもを評価する時、それは遠回しに生まれの評価に繋がってるかもしれないって話にもなりました。

評価するときは、その子がどうして頑張れたのか、またはどうして勉強をしないのかなど、背景も考えてみることが大切だって話になって...。
医療従事者の子が「これは医療の場でも大切だ」って言った話がなるほどなるほどだった!

例えば「家に帰りたくない」と発言する患者さんをめんどくさいとするのではなく、どうして帰りたくないのかを考える。虐待や介護を十分に受けられていない背景が浮かび上がってくる場合があるのだとか。

どうしてこの会を開催したのか

改めて、どうしてこの会を開催したのか。それは私が普段感じているモヤモヤを、感じていない人にも共有したかったから。そしてその周りの人に共有してほしいから。

大学で教育不平等って授業を受けたとき、教育格差について教職じゃ習わないって話を聞いて自分なりに考えついた解決策が、教師の卵コミュニティーを作って共有すること。教師は仕事量が多くて、プラスで格差問題に取り組むことはほぼ不可能。でも「知っている」だけで教師の評価や行動が変わるはずだって考えました。だからこそ、(暇そうなw)教師志望の友達を1人、無理やり誘いました。

1年の時に宣言したこれを、3年越しでようやく実現。全ては外出自粛のおかげです。言い訳にしていた「時間がない」が通用しなくなったこと、また冒頭で言った良い本に巡り合ったことが共鳴してこの会を開くことができました。

みんなが普段考えてることを聞けて、楽しかったなあ。

私が学んだこと・反省

まず反省から書くと、1人全然トークを回せなかった後輩がいて、本当に申し訳なかった。技量が足りなかった...。

学んだこと
新しく「チーム学校」と「チーム医療」という知識を得られました!
簡単に言うと、学校に関わる全ての人(担任、カウンセラー、養護教諭、部活動指導員等)で子どもを支援していくという考え方らしい。子どもの様子などを共有することで絶え間ない支援が実現するということですね。チーム医療も医者、看護師、薬剤師等全ての医療従事者が協力しよう!となってきているらしい。

あと、どうして保育士や介護士は給料や地位が低いのかという話になった。ケア労働は長年女性が無償で担ってきたからだろうくらいに思っていた。でも1人ニュージーランドの保育園に行ったことある人がいて、その子が「ニュージーランドでは月給40万もらえるらしい」って話してくれた。日本では20万もないことがほとんどなので、物価を考慮してもなおニュージーランドの待遇が良いと思った。

なぜなのか。現地の先生は「あなたたちもデモを起こしたら良いのよ」と言ったそう。これを聞いた時、改めて日本で声を上げることはあまりないなと気づいた。嫌なことは嫌って言っていいんだって思った。

バイト先の保育園でパートの方が「前の保育園では子どものためならできるでしょと言って残業文化が当たり前で、休憩もなかったんだよね」と言っていたことを思い出した。日本では保育だけでなく中等教育段階でも「生徒のためでしょ。」と一言で片付けられ、そう言われてしまったからには子どものことは好きなので文句を言えない状況があるんだなああああああと。
やりがい搾取で、「つらい」を表明しにくい社会は正直しんどいなと思いました...。

そんなこんなで、本を1人で読んだだけじゃ繋がらなかった点と点が繋がったり、知らない情報を得られたりなど、とっっても楽しかったです。個人的に、自分の友達がオンライン上とはいえ繋がっているのがテンション上がりましたね。

また気が向いたら人集めてやろうかなあと思います。私だけじゃなくて、他の人の学びにもなってたら嬉しいな...。

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