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29.趣味の話⑰ 読書(12)

はじめに

はい、こぼば野史です。

とても久しぶりの投稿になってしまった。
前回の投稿日が9月11日なので、およそ2週間ぶりの投稿である。

まず、ここまで投稿が久しぶりになると、今までどう書いていたか忘れかけてしまっている。しかし、パソコンが高スペックであるおかげで、挨拶はすぐに予測変換ができた。

確かここ最近の投稿の「はじめに」では、時事的なニュースや問題を取り上げていたと思うので、またそれを1つ。

情報化社会、AI活用に関する私見を若干述べようかな、と。

半年ほど前の記事だが、最も利用しやすいものだったので引用。この状況下で需要が高まる非接触での対人対応の話だ。従業員は事務所(レジの裏側)に1人いるのみ、とこの記事は書く。

現在の状況下だと、ポジティブな側面が非常に多いように思われるし、各種メディアもそのように報道するだろう。

しかし、異なる側面を考えると、まったくもってポジティブではない気がするのは私だけだろうか。

というのも、治安上・防犯上の理由である。

現在はこの年齢になって聞かないが、私が小中学生の時はよくこのように言われたものである。
「不審者に遭遇したら、真っ先に逃げて人がいるところ・・・・・・・に行きなさい」
と。

ここで問題がある。小中学生で身近に「人がいるところ・・・・・・・」とは、どこが思いつくのだろうか。

①遭遇した場所近辺の住宅
②自宅または学校
③各自治体の出張所など
④コンビニエンスストアまたはスーパーマーケット

以上が小中学生の思考では限界ではなかろうか。

しかし、「不審者に遭遇した」という状況で①は非常にハードルが高い気がする。まったくの赤の他人の家に押しかけるというのは、日本人の思考的に無理な気がする。ましてや小中学生である。②③は距離的に無理があるのではないだろうか。不審者の思考では、学校の近くで犯行に及ぶのは到底考えられないだろう。直ぐに見つかってしまう可能性が大きい。自宅も同様である。

となると、割と(都市部では)どこにでもあり、確実に人がいると思われる④に行くという思考が働く気がする。この年齢の私でも犯罪者に会ったら110番しつつ④に逃げ込む自信がある。

上記、神奈川県相模原南警察署でも、

「万が一の際逃げる場所」は、コンビニエンスストアや知り合いの家等、人が必ずいる場所

とされている。

だが、このコンビニエンスストア(の人目に見える側)に従業員がいなかったら――小中学生への精神的なショックは大きいのではないだろうか。

このご時世では行政上では「感染者を減らす」「人との接触を減らす」、財政上では「人件費削減」「効率化」というのが至上命令になっているが、他の状況に対したアプローチも考えておきたい。

前回の記事は以下。

1.今回紹介する図書

前置きが非常に長く、真面目な話になってしまった。

今回紹介する図書は、久しぶりに新書、

渡邉義浩わたなべよしひろ『漢帝国――400年の興亡』(中央公論新社、2019年)

である。

以前に紹介した記事、井上文則『シルクロードとローマ帝国の興亡』(文藝春秋、2021年)と同じく、早稲田大学文学学術院の教授、渡邉義浩先生である。

その記事は以下から。

また、渡邉義浩先生の著書についても、過去の投稿で触れたので、その投稿も載せておく。

2.渡邉義浩先生とは

渡邉義浩先生については、先生自身が公式サイトを開いているので、それに譲らせていただく。

3.『漢帝国――400年の興亡』とは

帯カバー及び中央公論新社のサイトに載るあらすじを引用しよう。

漢字、漢民族という表現が示すように、漢は中国を象徴する「古典」である。秦を滅亡させ、項羽を破った劉邦が紀元前202年に中国を統一(前漢)。武帝の時代に最盛期を迎える。王莽による簒奪を経て、紀元後25年に光武帝が再統一(後漢)。220年に魏に滅ぼされるまで計400年余り続いた。中国史上最長の統一帝国にして、中国を規定し続けた「儒教国家」はいかに形成されたのか。その興亡の歴史をたどる。

以上にあるように、漢〇〇と付くものは意外とある。

漢字、漢民族以外にも、義務教育で習ったであろう漢詩、高校古典や大学受験で苦労した人もいる気もする漢文、近代医療で確立された薬品ではなく、野草などを調合した漢方薬などは納得する人が多いのではないだろうか。

漢というのは、東アジア世界の文化の中心であり、政治の中心、経済の中心でもある。

漢は前漢と後漢に分かれるが、前漢の皇帝の1人、漢帝国400年の最盛期を築いたと言われる武帝劉徹についての伝記『漢の武帝』(岩波書店、1949年)は、吉川幸次郎先生の著書を過去に投稿した。

4.感想

新書は読む人が多くないと思われる(特に歴史学系統はなおさら)ので、(ネタバレも含む)感想をつらつらと書く。

渡邉義浩先生は一般書も多く書き、一般人への歴史への関心を促そうとしているので、平易な記述が多い。さらに、少し辛口に言うならば、先行研究の切り貼りが多い印象がある。

それでも説得力のある記述なので、筆舌に尽くしがたいことこの上ない。

内容に入ると、渡邉義浩先生のいう「古典中国」は、儒学に支配されている状態が完成だという。儒学の経典というと、所謂いわゆる四書五経ししょごきょう」(『詩経しきょう』『書経しょきょう尚書しょうしょ』『易経えききょう』『春秋しゅんじゅう』『礼記らいき』の五経と、『大学だいがく』『中庸ちゅうよう』『論語ろんご』『孟子もうし(もうじ)』の四書、五経を先に並べたのは、こちらの方が成立年代が古いため)があるが、さらに、『春秋』の注釈書である、『春秋公羊くよう』『春秋穀梁こくりょう』『春秋左氏さし』の所謂「春秋三伝」がある。これらを取り入れつつ、規範として確立したのが「古典中国」=漢帝国であるとする。

また、今文学きんぶんがく古文学のせめぎ合いや、有名な「党錮《とうこ》の禁」に関する問題点(儒学官僚 vs. 宦官かんがん外戚がいせきという単純二元論への疑問)、『三国志』への橋渡しとして曹操の出自に関しても話しているので、『三国志』前の歴史、「なぜ三国志が始まったのか」を知りたい人は読むべき1冊である。

おわりに

「はじめに」が本論とまったく関係のない話だったので非常に申し訳なかった。

ここは関連性のある話ができればと思う。

現在も、さまざま図書を読めてはいないが集め、その図書ごとに「はじめに」や「あとがき」、「あらすじ」を読むだけでもワクワクするものが非常に多い。

紹介していない図書もそこそこ溜まってきたので、また紹介の投稿が出来ればよい。

いよいよ大学の後期が始まっている。大学生活最後の後期である。おおよそ半年ほどで、卒業するらしい。卒業論文の提出まではあと3ヶ月ほどか。

また、本を紹介したり、御朱印を紹介したりできればと思う。

それでは今回はこの辺で。

頓首頓首。

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