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三島由紀夫論2.0

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2024年4月の記事一覧

そうではない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む34

そうではない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む34

明治二十八年      一歳
明治二十九年      二歳   
明治三十年       三歳   
明治三十一年      四歳
明治三十二年      五歳   
明治三十三年      六歳    パリオリンピック 
明治三十四年      七歳
明治三十五年      八歳
明治三十六年      九歳
明治三十七年      十歳    御幸   得利寺附近の戦死者の弔祭
明治三十八年 

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解らないはまだある 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む33

解らないはまだある 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む33

 高貴さと妾を持つこととがどのようなバランスで評価されていたのか、と、仮にこれが大正元年の侯爵の身分にある者の例で考えてみた時、それはたしかに「まやかし」で片づけられねばならないほど際どいことではなかったのではないかと思わないでもない。

 例えば夏目漱石の『それから』において、「妾」はこの程度に書かれている。

 夏目漱石の『それから』は明治四十二年の作。綾倉伊文伯爵も蓼科にお手付きをする。しか

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その記憶はない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む32

その記憶はない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む32

 平野啓一郎は「55 悪としての透」において、「人を傷つけたくてうずうずしていた」という安永透を見出し、なお「この特異性に、作者は別段、前世からの業相続という仏教的な意味づけを行っていない」と書いてみる。

 非常にミクロにとは言いながら少なくとも三島由紀夫の膨大な作品群から仮に『豊饒の海』だけに関して平野啓一郎の『三島由紀夫論』の弱点を指摘するならば、やはり『春の雪』に関する読みの浅さがまず

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やはり戦前から読まないと 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む31

やはり戦前から読まないと 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む31

 新潮社の『決定版 三島由紀夫全集』を見ても『春の雪』に現れる明治三十七年六月二十六日の「得利寺附近の戦死者の弔祭」にはルビも降られていなければ、註解もない。

 お陰で日露戦役を知らない多くの人は「得利寺」を「とくりでら」と読み、日本のどこかの寺の名前と思い込んでいることだろうが、これはこんな場所である。

 金州からは北へ三十里ばかり、普蘭店からは同じく二十里足らずの所にある清国(現在の中国遼

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金持ちの気まぐれではできないこと 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む30

金持ちの気まぐれではできないこと 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む30

 平野啓一郎は「53 透の「真贋」」においてこう述べる。

 さすがである。

 この一言でこの本を買う価値があると言ってよい。これはなかなか気がつかないポイントだ。平野はこれが亡妻の梨枝から提示されていたことでありながら、動機の具体的な描写がないと指摘する。

 この「誤解」そのものは大した問題ではない。物語は本多がただ透を観察することに留まらなかったことで悲劇的に展開してくことになるからだ。

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何処まで知っていたのか? 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む29

何処まで知っていたのか? 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む29

 平野啓一郎は「52  三島と「悪」」に於いて、本多の悪の意識を論ってみる。

 こう摘まんで置いて平野は不思議がる。

 作品中にこのような場面はどこにも見られないととぼけて見せる。「決して愛することを知らず」「他人の死を楽しみ」はいざ知らず、「自ら手を下さずに大ぜいの人を殺し」「世界を滅亡へみちびきながら、自分だけは生き延びようとしてきた」人物と言えば、統帥権を持つ天皇、その人以外にはあり得な

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贋物の証拠は? 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む28

贋物の証拠は? 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む28

平野啓一郎は「49 『天人五衰』の「創作ノート」」において、

 この括弧の中に示された平野啓一郎の解釈は、既に商業出版されている『豊饒の海』幻の五部作について語る井上隆史の『三島由紀夫 幻の遺作を読む――もう一つの『豊饒の海』』と異なる解釈であることから比較検証が必要である。
 井上の指摘は「完成作とは大きく異なる内容の最終巻、つまり五巻目のプランが検討されていた」というだけに留まらず、三島由

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死んだのは誰? 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む27

死んだのは誰? 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む27

 平野啓一郎は、と、この名を書いた回数ではこの一週間ほどの間で私より多い人間はいまい。そしてここにはまるで悪意がなく、むしろ善意しかないことは驚くべきことではなかろうか。

 私は平野啓一郎に『三島由紀夫論』を正しく書き直してほしいという建前で、勿論三島作品を頓珍漢に誤解させられないという本音も含めて、今限りなく正直に平野啓一郎の『三島由紀夫論』と向き合っている。

 これが冗談でないことは記事

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見えていない観察者 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む26

見えていない観察者 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む26

 認識者たりつづけようとする平野啓一郎は「47 本多の「認識論」の逡巡」において、次のように述べている。こう書いてから五分ほど、私は何處を引用したらいいか迷っている。

 本多は「外面の官能的な魅力」と余計な、ルッキズム的な言説を混ぜてしまう。しかし「自らの生への「参与の不可能」の故に、恋は不可能である」とロジックがねじれる。「外面の官能的な魅力」はなくとも恋は可能だ。

 悟空でも恋はできる。

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そっちの対は見えるのに 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む25

そっちの対は見えるのに 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む25

平野啓一郎は「46 月光姫(ジン・ジャン)」においてようやく、

 こんなことを書いてみる。

 しかし天皇とタイの王様を比較することは絶対に避けている。

 先に書いたようにシャムの王子が日本では普通に扱われるのだから、イギリスでも皇太子は同じように扱われただろうという自然な連想には進まない。どうやら最後まで踏ん張るつもりらしい。

 解るよ。

 三島由紀夫は〈天皇〉を絶対者とみていたから、

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そう大きくはない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む24

そう大きくはない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む24

 三島由紀夫はそう大きくはない。むしろ小さい。三島由紀夫の身長は昭和天皇と同じ163センチで、当時としても小柄である。大柄の石原慎太郎と並ぶと、やはり寸法通り小さく見える。

 澁澤龍彦も160センチないくらいで細身の上に小柄である。しかし今西は「長身」と書かれ、平野は、

 こう書いてしまう。参考文献のどこにも三島由紀夫の身長のことなど書いていなかったとして、石原慎太郎と並んだ写真を一枚も見て

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妥当だろうか 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む23

妥当だろうか 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む23

 平野啓一郎は「44 『柘榴の国』」において不意に『家畜人ヤプー』を読んていることを仄めかす。それはそうだろうという話ながら、よくここまで黙っていたものだと感心する。その上平野は『家畜人ヤプー』を掘らない。

 この「44 『柘榴の国』」では『家畜人ヤプー』そのものの内容には触れられない。それが日本民族そのものを本質的な家畜とみなす究極のマゾヒスト・ユートピア小説であり、三島の檄の真逆の世界の話

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富士山は天皇か 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む22

富士山は天皇か 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む22

 平野は躊躇なくこの自覚を三島由紀夫と重ね合わせて見せる。しかし三島の不安に自分を重ねることは敢えてしない。茶髪にピアスの京大生も年齢的にはこの時点に差し掛かり、だからこそこの『三島由紀夫論』を書き上げたのではないかと買いかぶっていた私はいささか虚を突かれる。
 図書館の数だけこの本は売れるが、その努力に見合う見返りでは無かろう。平野啓一郎自身は今どう思っているのか。そこが見えないと本当の三島由紀

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松枝の記憶はないんだ 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む21

松枝の記憶はないんだ 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む21

 昨日は『奔馬』の結びについて書かれていない静かな失血死というものがあることを書いた。それはまさに書かれていないことながら、ロジックとして浮かび上がるもので、切腹の作法についてきちんと調べていた三島由紀夫が、意識して書かなかったことだ。その静かな死が意識されてこそ三島由紀夫の騒がしい死とのシンメトリーが見えてくる。

 シンメトリーとは究極的には書かれていることで書かれていないものを浮かび上がらせ

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