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そう大きくはない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む24

  三島由紀夫はそう大きくはない。むしろ小さい。三島由紀夫の身長は昭和天皇と同じ163センチで、当時としても小柄である。大柄の石原慎太郎と並ぶと、やはり寸法通り小さく見える。

 澁澤龍彦も160センチないくらいで細身の上に小柄である。しかし今西は「長身」と書かれ、平野は、

 この身体的特徴は、澁澤龍彦というより、ボディビルを始める前の三島そのものであろう。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 こう書いてしまう。参考文献のどこにも三島由紀夫の身長のことなど書いていなかったとして、石原慎太郎と並んだ写真を一枚も見ていないわけもなかろうに、何故か三島由紀夫を「長身」にしてしまった。もしも三島由紀夫が「長身」だとしたら、石原慎太郎は巨人である。

革命が早く起こればよい。左の革命だろうと右の革命だろうと、今西の知ったことではない。革命が自分のような、父の証券会社のおかげで徒食している男を、ギロチンに運んでくれたらどんなによかろう。

(『暁の寺』/三島由紀夫/新潮社/昭和五十二年/p.312)

 このギロチンも平野はこう言い換えてしまう。

 そして、死を怖れつつ死を願う今西と、やがて自分もまた贋物の芸術家であると自覚し、「才能もなくて、いつまでも生きていたって、はじまりませんでしょう」と槙子に訴える椿原夫人は、死にたいという願望を共有しているのである。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 ギロチンと摘まんでしまうと『風流夢譚』と対になる、あの作品に触れねばならぬから「死にたいという願望」と引き取ってはいるが、既に『暁の寺』は生首が意識されていた時期に書かれた作品であり、今西も澁澤龍彦が単独モデルであるわけもなく、贋物の芸術家とは三島由紀夫自身のことでもあっただろう。

「いくら頭が良くても、あんなに無理して生きていればそりゃあ若死にしますよね」
と言ったのが印象的だった。
世俗に徹した大通人の深沢氏から見れば、三島氏が意図して行っていたすべての社会的プレゼンスはただの無理にしか見えなかったのだろう。

(『三島由紀夫の日蝕』/石原慎太郎/新潮社/1991年/p.7)

 三島文学を「にせものであり、少年文学だと」と言ったのは深沢七郎である。では三島由紀夫にはその自覚があったのか?

 今西という登場人物について考える時、仮にこれが澁澤龍彦をモデルとした造形なら、かなり辛辣だが的を得ていない感じというものがしてしまう。澁澤龍彦は変態は変態。立派な変態で裸で飛び跳ねる写真などが残されている。しかし徹底した趣味の人で、単なる雑食性の博識ではないところがあり、三島由紀夫自身にとってもフランス文学、フランス思想の貴重な情報源であり、その筋においてはかなりお世話になっていたことは間違いないのだ。言ってみれば剣道の先生を贋物と呼ぶなら別の師を求めるべきであろう。澁澤龍彦にはその変態性を含め、三島由紀夫から贋物の芸術家呼ばわりされるところ、とくにスノビズムや通俗性というものがまるで見えないのだ。

 では三島由紀夫が自身の文学を贋物ではないかと不安視していたかと言えば、やはりそうしたものも見つからない。
 ただそういうものが外部にあったとすれば、『鏡子の家』から始まる文壇の悪評、そして直前に発表した『奔馬』の不評があるにはあった、というくらいなものではなかろうか。
 そのことを三島自身がひどく気にして、もしも自分が作家としても贋物であったとしたらと考えてみたとしたらと考えてみた時、そこに本物の偽者である安永透との対が生まれる。

 三島由紀夫は今西と椿原夫人を焼き殺す。まるで何か本当にそういう人物がいて罰するがごとく。やはり罰せられるかのように失明する安永透同様、今西は三島の何かを引き受けていたことは間違いないのではなかろうかとは思う。

 ドイツ文学者という点もその一つであろうか。

 三島由紀夫は芥川竜之介ほどにも翻訳作品を書かなかったという意味ではドイツ文学者としては贋物である。焼き殺されたのは澁澤龍彦ではなく、ある意味ではドイツ文学者としては贋物であった三島由紀夫の分身なのではなかろうか。
 このロジックはまたヘタな歌詠みである椿原夫人にもあてはまる。

 また三島由紀夫に対すして澁澤龍彦は冷徹な観察者でもあった。

私がここで言う蟹とは、もちろん比喩的表現より以外のものではないが、たしかに三島氏には一生涯、蟹にこだわりつづけたと思われる節がなくもない。たぶん、三島氏は現実を総括的に正確に眺めようなどとは、一度として考えたことがなかったにちがいないのである。いわば蟹を通してしか、彼は現実と係り合おうとしなかった。その現実と係り合う接点は、感情的お芝居をはじめとして、あらゆるナルシシズム的陶酔を成り立たしめる領域だった。というのは、彼は死ぬまで、自分が現実に存在しているとは感じられず、自分の肉体的な存在感を目ざめさせてくれるもののみを、ひたすら求めたらしいからである。

(『三島由紀夫おぼえがき』/澁澤龍彦/中公文庫/昭和61年/p.31~32)

 澁澤龍彦の趣味はその批評眼ゆえ成立しているといっても良い。澁澤龍彦は小柄で痩せた変態で本物のフランス文学者だ。澁澤龍彦だけでは今西は出来ない。
 本多のモデルは誰かという議論もむなしいが、やはり今西は肉体的にはボディビルを始める前の三島だと捉えることもむなしい。

人格の同一性ということをいうにしても、ここでのそれは、いわば意識面にあらわれるものを影として、その中にくり返しみずからの姿を見るような、あるいは記憶(メモリア)の深みにまで奥行きをもって消え入っていくあらゆる形象や面貌のつらなり、仮面のつらなりの底にたえずみずからの姿を求めるような、限りのない<ペルソナ>の多様性をみずからのうちに含みこみ、また含んで行くそれであって、意志の意識面において法律的道徳的責任の帰属が云々される際に問題となる排他的な同一性とはおのずから別な、それよりは深い人格のダイナミックな成層においてみとめられるような種類の独特の(数学・論理学にいう「弱い構造」によってあらわされるような)同一性である。

『ペルソナの詩学』/坂部恵/岩波書店/1989年/p.115

 猪瀬直樹の見解では、『豊饒の海』は三島由紀夫からペルソナを剥ぎ取るきっかけとなったということである。そのペルソナを剥ぎ取る作業がいよいよ『暁の寺』あたりから始められ、その中で自分が贋物だったかもしれないという告白が今西と椿原夫人の死に込められているという見立ては可能であるかもしれない。

 過剰な退廃はまるで『仮面の告白』の作為性を白状するかのようにレトリカルで、決して正直とも思えないが珍しくどこか切実なものがある。それでも今西を長身にしてしまうのは自分の弱さをやすやすと他人に見せられない行儀作法のようなものか。

 三島事件を再現するテレビ番組で、三島由紀夫の着ていたジャケットを見た「爆笑問題」の太田光は「案外小さいですね」と言っていた。現在ではこの程度のことがむしろわかりにくくなってしまっているのではないか。

 三島の体は決して大きくはない。

 むしろ小さい。

 しかし小さくないと誤解されている。

 ちなみにその再現フィルムで三島由紀夫は、あたかも楯の会の制服で電車で市ヶ谷に向かったかのように描写されていた。知っている人なら大笑いするところだが、中古のコロナでさえ何なのか知らない人もいるだろうから、こんなことも書き残しておかねばならないだろう。


――おれはねぇ、村松君、このごろはひとが家具を買いに行くというはなしをきいても、嘔気がするんだよ。
――家庭の幸福は文学の敵。それじゃあ、太宰治と同じじゃないか。
――そうだよ、おれは太宰治と同じだ。同じなんだよ。
――太宰の苦悩なんか、機械体操でもすればなおるはずではなかったの?

(『資料 三島由紀夫』/p.496)

 太宰は長身だが、太宰ではないなあ。


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