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夏目漱石論2.0

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2023年7月の記事一覧

夏目漱石『坊っちゃん』と『行人』の時間

夏目漱石『坊っちゃん』と『行人』の時間

『坊っちゃん』の現在

 夏目漱石の『行人』は『坊っちゃん』や『こころ』と同じような物語構造を持っている。基本的に回想の形で過去の出来事が語られながら、現在がそっと挟み込まれる。

 例えば『坊っちゃん』において、

 この「今となつては」が清の死後にあることはまず読み誤ることはなかろう。しかし案外見落とされているのが、

 この「只懲役に行かないで生きて居る許りである」という現在が街鉄の技士とし

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夏目漱石の『こころ』の時間

夏目漱石の『こころ』の時間

 夏目漱石の『こころ』がまた多くの高校生に読まれる季節になった。少々繰り返しの感じがないではないが、今日はその物語構造を、「時間」の流れとして見て行きたい。
 そして今回は分かりやすく、過去→現在→未来というニュートン時間の枠組で整理していきたい。

冒頭が現在

 夏目漱石の『こころ』の現在は冒頭にあります。全体として回顧の形式で書かれているので、冒頭部分は先生の遺書の後にあり、明確ではありませ

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「ふーん」の近代文学25   汁粉はぜんざいか

「ふーん」の近代文学25 汁粉はぜんざいか

 三島由紀夫が最後の最後におしるこ万歳と言い出したことはよく知られていよう。それは自分が太宰と同じだと認める発言である。ところで夏目漱石と芥川の間、芥川と谷崎の間、芥川と太宰の間、織田作と太宰の間ではぜんざいと汁粉が奇妙に捻じれて見える。

 この汁粉のネタからして漱石は汁粉が好きそうである。 

 ここを見てもそうだ。

 この「汁粉、お雑煮」が鳥取では同じものになる。松山の雑煮は澄まし汁だが、

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「ふーん」の近代文学23   この感覚は何なのだろうか

「ふーん」の近代文学23 この感覚は何なのだろうか

 ツイッターでは「Soseki Natsumeで検索」がデフォルトになっているので、毎日「Soseki Natsume」に関するつぶやきを目にする。そしてたじろぐ。

 ブックマークしていなかったので今は見つからないが、村田沙也加の代わりに川上未映子が現れることもある。

 これはなんというか、

 たじろぐ。

 つまり大江健三郎も開高健も、後藤明生や黒井千次、古井由吉は勿論、例えば安岡章太郎、

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「ふーん」の近代文学22  そんなことある?

「ふーん」の近代文学22 そんなことある?

 これは安倍元総理暗殺の話ではない。

 では三島は行為を諦めただろうか。そんなことはない。明確に他者である芸術家に伝達不可能なものである筈の行為を、行為の本質というものに直面する契機をつかむことが芸術家の任務だというのだ。

 これは芸術が、芸術家が仮構そのものであると言っているのに等しい。しかしこれは出鱈目な話ではない。現実的に芸術家は仮構であろう。

 例えば「刀剣乱舞」が刀の擬人化であるよ

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「ふーん」の近代文学⑰ 「ふーん」したくなる気持ちもわかるけど

「ふーん」の近代文学⑰ 「ふーん」したくなる気持ちもわかるけど

 乃木静子殺害事件後の森鴎外の作品群には露骨に「殉死」批判が書かれていると言われても、みななかなかそのまま素直に受け入れがたいのは解らないことでもない。
 猪瀬直樹の『公 日本国・意思決定のマネジメントを問う』にあるように森鴎外は『かのように』でこう書いている。

 だから長男の鴎外は日本という船が沈まないように保守を貫いたのだと。そう捉えると『帝諡考』に至る森鴎外の姿勢が一本筋が通ったものに見え

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