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夏目漱石の『こころ』の時間
夏目漱石の『こころ』がまた多くの高校生に読まれる季節になった。少々繰り返しの感じがないではないが、今日はその物語構造を、「時間」の流れとして見て行きたい。
そして今回は分かりやすく、過去→現在→未来というニュートン時間の枠組で整理していきたい。
冒頭が現在
夏目漱石の『こころ』の現在は冒頭にあります。全体として回顧の形式で書かれているので、冒頭部分は先生の遺書の後にあり、明確ではありませんが数年後、あるいは数十年後の位置から過去が語られていると考えて良いと思います。
私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚る遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。
中高生の感想文に「結末が暗かった」というものがしばしば見られます。これは物語構造を捉えきれていない読み誤りです。「私」は先生の過去を知りながら一切否定的な言葉を投げかけていません。つまりハッピーエンドは予告されていたものなので、何がハッピーなのかというところを考えながら読み進めていく必要があるのです。
回想の中に挟み込まれる現在
私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。
続くこの行で回想の形式に入り過去の出来事が語られていることが理解できない人はまあいないと思いますが、回想の中に時々現在が挟み込まれることに気が付いていない人は少なくありません。『行人』よりは分かりやすく書かれているのですが、案外見逃されています。
現在が現れている部分は、
しかしその私だけにはこの直感が後になって事実の上に証拠立てられたのだから、私は若々しいといわれても、馬鹿げていると笑われても、それを見越した自分の直覚をとにかく頼もしくまた嬉しく思っている。人間を愛し得うる人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入いろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、――これが先生であった。
これが現在で、ついでに言えば現時点における先生に対する「私」の評価が現れているところです。ここでポイントとなるのは「私だけには~事実の上に証拠立てられた」という表現です。これは結びの、
私は私の過去を善悪ともに他の参考に供するつもりです。しかし妻だけはたった一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が己の過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一の希望なのですから、私が死んだ後でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。
この「あなた限りに打ち明けられた」と対になり、先生の遺書を託された「私」だけには、先生を愛すべき理由が証拠立てられたのだ、というロジックになります。
ですから少なくとも「私」は「先生は卑怯ものだ」などとは思っていないわけです。
語りの位置と仄めかされる現況
現在は冒頭から時間の進行を見せないまま、三度ほど現れます。
今考えるとその時の私の態度は、私の生活のうちでむしろ尊っとむべきものの一つであった。
幸いにして先生の予言は実現されずに済んだ。経験のない当時の私は、この予言の中に含まれている明白な意義さえ了解し得なかった。
書かれている範囲で「私」の現在の状況はさして明確ではありません。ただ仄めかされている内容としては、
・「私」は書けばたちまち世間に知られるような書き手になっている。(新聞連載小説家?)
・「私」は先生を全肯定している
・「私」は現に先生に関する手記を書いている
……こういうところまでは明確に言えると思います。
また「いい大人」が「先生が本当に自殺したかどうかは定かではない」などと書いていたりして愕然としますが、
先生と知り合いになってから先生の亡くなるまでに、
先生は奥さんの幸福を破壊する前に、まず自分の生命を破壊してしまった。
こう書かれているので先生の死は仄めかしではなく確定した事実です。
また、
そうしてその悲劇のどんなに先生にとって見惨みじめなものであるかは相手の奥さんにまるで知れていなかった。奥さんは今でもそれを知らずにいる。
つまり、
・現在の「私」は静が現に生きていて先生の過去を知り得ないことを知っている
……というところまでは確定した事実です。
その事実から仄めかされていることもあります。それは、
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