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代表コラム10. 喜ぶ事喜んでもらう事

こんばんは。

今日はタイトルの通り「喜ぶこと」と「喜んでもらう事」について思いを馳せたいと思う。

先日家族サービスで茨城県の筑波に遊びにいっていた。その際に近場の蕎麦屋さんに行った際の話だが、あまり土地勘に詳しくない私は助手席で調べる嫁のオススメ(口コミ情報)を信じて、とあるお店に行った。

そこの売りは「店主のパフォーマンス」にあるとのことだった。店内にはジャズが流れ、食べ方を最適な方法を教えてくれる、そんな良さげのクチコミが見れた。

お店まで赴き、長蛇の行列が出来ていて「人気のお店なんだな」と思いながらもやや寒空の中並んだ。

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そのお店では「Have a nice day」「ピャー」などの店主の陽気な声が聞こえ、確かにパフォーマンスは陽気さを感じた。

だが、並べど並べど全く進まない。1時間が過ぎようやくお店の中の待合室に入れたが、お店の中を覗くと退店者のテーブルが全く片付けられていなかった。そばというジャンルの割に回転率が悪いのはそもそもオペレーションが回っていないのが原因だった。

待合室を除いたスタッフが最初に人数を数えるだけ数え、無愛想に「何名様ですか、どうぞ」と通した時には流石に不快を感じた。

片付けなどのオペレーションと、若いお手伝いが一人でも入れば回転率が上がって売上2倍は間違いないと思う。笑

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机に通されたのは待ち始めてから1時間半。そこから出てきたのは、抹茶とお菓子。

これはタイミング待っている時にでは?と突っ込んだのは我々だけではなかったように思う。

サービス業においては、「お客様に喜んで頂く」というのがビジネスにおける大原則においては、ここまで全てにおいて全く喜ぶポイントはなかった。

さらに仰天したのは店主の行動だ。

我々が頼んだのは、「鴨南蛮そば」を頼んだ。この鴨南蛮そばにはつけ麺のように麺とつゆが分かれていて、鴨自体はネギやにんじんと一緒に鉄板で焼く形を取っていた。

他のテーブルを見ると焼き方を細かく店主が教え込むような声が聞こえていたが、実際に現場を目にすると驚愕した。素肌で自らが持つ箸を使いながら、

「ピーマン好き?」

と言いながら我々が食べる鉄板をいじり出し、素手でピーマンを掴み、鉄板に押し付けながら焼き加減を勝手に調整した。

コロナ対策が騒がれる中、前後に消毒作業もなしに勝手に人様の野菜に素手で触れ出す姿に呆れる我々。

極め付けは、「ピーマンと鴨で、鴨ピー」と謎のギャグを言いながら人の器の中に素手で入れてきた。

ちなみにネギの時は、「ネギと鴨で、カモネギ」と言いながらネギを素手で掴んでいた。

隣のテーブルでは、「そばは焼くと美味しいの」と言いながら客の皿にある蕎麦を、これまた素手で掴んで勝手に焼いていた。

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あまりの出来事に、正直ここ数年で最低のお店、という印象で昼食は終了した。

テレビにも何度か出たことがあるそうだが、何かをはき違えているのは間違いない。

ビジネスの原則は、「目の前の相手にどんな価値を提供できるか」になる。それが、「ソリューション」になるのか、「喜んでもらう瞬間を作る」なのか。

特に飲食店を含めた「サービス業」では、間違いなく後者であることが言える。そんな喜んでもらう姿勢を、「自らの思い」の押し付けになってしまっては元も子もない。

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お客様は今どんなことを感じ、「またいきたい」と思っていただくいはどうしたら良いだろうか?

今回この姿勢を微塵も感じなかった。加えて、お客様の反応が良い(基本的に20代30代の女性あたり)のデスクには30分くらい居座って「ピャー」だのあーだこーだ喋っていた。

キャバクラか、ここは。

喜んでいただくんじゃなく自分の価値観を至高のものとして、相手に矯正をしているだけである。非常に不愉快極まりない。

反面教師として、人生の評価は他人が決めること。であるならば自分の価値観の押し付けではなく、相手に喜んでもらうことを追求すること自体を忘れてはならない、と感じた。

喜んでもらえるように、自らを成長させる。

そしてさらには、SNSなどの匿名性の「いいね」には信憑性がなく、やっぱり顔の見える信頼のおける人間の「実績いいね」を信じて生きることが確かなのだ、と。

人間は都合のいい生き物であるが故に、戒めて生きていきましょう。

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