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働き方改革と生産性向上をめぐる私のモヤモヤ感①|ICTと社会

この内容が「ICTと社会」シリーズで良いのかどうか、迷いもあるが、一応DX(デジタル・トランスフォーメーション)についても触れようと思うので、強引にこのシリーズの記事として書こうと思う。

数年前から国を挙げて取り組んでいる働き方改革と生産性向上について、どうもしっくりこなくて、モヤモヤしている。

私はこの30年余り、通信事業者の社員として働いてきた。90年代からすでに日本の長時間労働については社会問題化しており、私自身も問題意識として持ってはいたが、この業界の激烈な競争状態、また重要な社会インフラを支えているという自負とか責任意識、そして私自身がまだ体力があり上昇志向もあって、月100時間程度の残業は当たり前のようにがむしゃらに仕事をしてきた。これは恐らく私だけではなく、我々世代ではこういう人は多いのではないかと思う。つまり長時間労働を「させられている」ということではなく、自分たちの意志として「勝ち残るために」あるいは「生き残るために」頑張ってきたという思いだ。

その結果として、私が所属する会社はおかげ様で業績を伸ばし、お客様に様々なサービスを提供してきた。大した仕事は出来ていない私だが、多少なりともその一端を担わせてもらったのかなとは思っているし、そのことを誇りに思ってきた。

一方では、家のことは妻にほぼ任せっぱなしになっていたことは事実であり、それは申し訳ないと思っている。ただ、言い訳がましいかもしれないが、我々の世代、あるいは私の会社で働く者としては当然だったのだ。

働き方-区切り写真1

2015年に大手広告代理店で女性新入社員が過労を苦に自殺するというショッキングな事件があり、同社の過酷な勤務実態が明らかになったことを契機に、政府として「働き方改革」の一大キャンペーンが始まった。当社においても、それまでは何だかんだ言いつつも黙認されてきた長時間残業は一切禁止となった。それまで部長クラス以上は、週末でも自宅からのリモートアクセスにより(この頃からすでに今でいうテレワーク環境は整備されていた)仕事をするのは常態化していたが、それも全て禁止役員等からメール等が来ても、週末は返信する必要なし、と徹底されるようになった。

正直、部長時代は週末も休まらず、さすがの私も疲弊していたが、そうした点がまともになってくれたのは大変良いことだと思う。

ただ一方で、とても心配でもある。そんな悠長なことをしていて、業績は大丈夫なのだろうか。日本は人口減少局面にあり、今後労働力はどんどん減っていく。

労働時間の削減なんて90年代からずっとやっているし、実際に減ってもいる。そんな中でも必死にGDP水準を維持してきたのがここ30年の歩みだし、さらにドラスティックな改革をやって、果たして日本経済や社会は持ちこたえられるのか。これが私が持っていた第一のモヤモヤ感だ。正直、自分たちのこれまでの頑張りを全て否定されているようで、納得のいかない気持ちもある。

私は経済学の専門家でも研究者でもないが、一サラリーマンとして長く現場で働いてきた実感をもとに、こうした点について自分の頭の中の整理も兼ねて、考察していくこととしたい。

【つづく】

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