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限界ってだれのもの?

わたし、ランニングを始めました。
理由は、走りたかったからです。

身体が走りたいって言い始めたからです。

実は、長距離走が苦手でした。
分かってくれる方も多いんじゃないかと思うんですが、辛いじゃないですか(笑)

走るのをやめるための言い訳大会が、
体の底から湧き上がるんです。

「疲れたんだけど」
「お腹痛いんだけど」
「てか走る意味あんの?」

これを周りの人はどうにかしてくれることはありません。自分でどうにかしないと、声に負けて止まってしまう。

走るということは、その声に耳を傾けながら走って行くということ。そんな自分と上手に付き合いながら走るということ。

誰かが、頑張れ!と励ましてくれる。
それでも走るかを決めるのは自分。

誰かと一緒に走ることはできても、結局走るのは自分なのです。

何か目標に向かっているときの、自分が直に現れているような気がします。大きく言えば生きていることのようにさえ感じます。

走る自分とおしゃべりをする

走っていると自分とのおしゃべりが浮き上がってきます。それが好きだったりします。

「あ、今お腹痛い」って思うとするじゃないですか。

でも、走ってるし痛くなるの当たり前じゃない?って返すと、痛みが消えていくんです。

足を止めるために痛みが走ったんだと気づくのです。

自動販売機があると、
立ち止まりたくなります。

「喉乾いた。」

それ本当?と声をかけると、すっといなくなる。また、立ち止まりたがってたんだと気づきます。

こんどは、息がぜぇぜぇ上がってきて、

「止まりたい止まりたい!!苦しい!無理だよ!!」

とダイレクトに声をかけてきます。

本当にむりなの?と冷静に話してみると、そうでもなさそうな感じなんです。

どうしたの?ときくと、

「苦しむのが嫌なんだよ」と言いました。

今、本当に苦しいの?と問いかけると

とうとう、言葉を発さなくなります。
すぅっと泣き叫びが静まっていきます。

わたしは完全に自由で、
まっさらになっていきます。

とけあってかがやく

この時が、わたしにとって安心で、安全です。気持ちが風と溶け合って、すこし喜びを感じる。

誰の言葉にも傷つかず、何者にも縛られません。

そこからは、心の本当の壁、身体の本当の壁に挑んでいきます。

本当にいけるところまでいきたい。
本当に自分の限界を知りたい。

ギリギリの瀬戸際に立って、死を感じるところまで挑みたい。そう感じた瞬間に背筋からきらめきを感じます。

この命はどこまでゆけるのだろう。
可笑しささえ感じます。

命の大きさと、時間の収縮を感じながら。
まだ、もっと、もっと。
よろこびが体を覆い尽くしてしまう。

しばらく走ると、身体が限界を迎えます。
あ、これ以上走ったら無理だな、
という身体からのメッセージが届きます。
騒ぎ出したり、訴えてきません。

「もう無理です」と淡々と伝えてきます。

身体はあっけなく限界を迎えます。
けれども、心は果てしなく限界はありませんでした。

心の限界を決めているのは誰?

走ることで、自分の解放のしかたを知ります。
身体はすぐに痛くなるけれど、心はぜんぜん大丈夫。まだまだいきたいと言っていたりするんです。

でも、心で限界を決めていたりすると
行きたい!という気持ちも打ち消してしまいます。

あなたがつくってしまってる限界ってなんでしょう?

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