今日の哲学

今日の哲学 さっきの続き
希望がないから何でもしていいには、ルサンチマンの感情が関係している。
ルサンチマン(不平・不満・怨念)これはいつの時代にもあってそれをインチキな宗教団体が麻薬の様に人の心を覆い隠していくという説がある。快楽に溺れるなんかもそんなもんだろうと思う。アーティストでもルサンチマンが物を作るっていうのがあるが、その先にあるのは退廃と孤立である。人によっては死んだりする。

ガイドすると幸福はイメージであり、日常として確かなものはなく、満たされない欲望は悪意へと変わる、悪意を消すのが音楽や詩である。要は芸術である。
医学的にいえば芸術から宗教から性から薬まで辛い自分と向き合うのを避けるためにある。

どういうことか…悲しいことがあったから私はこうしましたっていうのをずっとやっているわけにはいかないのである。風俗女がトラウマからこの仕事を選んだっていう話はあるが、ずっとそれをやっていていいのだろうか?
傷を受けたからとかアイデンティティ放棄までいけるのでありその先に何もないわけではない。ある意味そういう人のために哲学・精神医学はあるのではないかと思う。俺は目つきは悪いけどたまに笑顔になるときがある。

現代で+の感情になるというのは至難だから、要はフラットになればいいわけだ。不満があるけど希望もあるとか、いや特に問題は抱えてないなあみたいな感じだ。その時点で幸せなことである。ルサンチマンから神を殺しなんでもしていいではなく、宗教ではなくなんとかこれまで生き延びてきたという体験としての神の存在を認め、その上で生活していくというのはどうだろうか?

例えば自死を考えたこともある俺にとって肉体反応論、肉体はかつてない程疲弊すると神経症の中に逃避し、神経症がひどくなると死んだ方がマシだと思う、神経症から抜け出そうとしても無理があるがシリアスにならず哲学やお笑いの力を借りて肉体反応としてそれらと上手に付き合っていくなんていうのはある意味神の存在である。

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