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精神医学としての哲学です。 サバイバルからリカバリーへ。
本来的自己の回復の思想です。 サバイバルからリカバリーへ
ポップソングです。
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異国
極寒の大地
ヤスパース哲学と精神疾患 〜現実的な実在の受容へ〜 カール・ヤスパースは元々は精神科医である。 ヤスパースは哲学において、科学・交わり・真理・人間(現存在)・超越者に関する問題を提示する。 科学はあくまで道具として利用するものとしている。 ※例えばワードプロセッサ、音楽ソフト(DAW)などは貴重なツールである。 (それらは自我をプレイするという感覚である) 人間(現存在)は他者との関係性において現象の蓄積として存在している。 自我がある。つまり集合体=コミュニティ、学校
今日はフロイトから読み解く性 フロイトは人間には無意識がありそこには欲望・性衝動があると唱えた。管理社会のプレッシャーによって抑圧された無意識の領域と自我意識の調整が上手くいかなくなると神経症が起こると唱えた。以前書いた肉体の疲弊から神経症へ神経症が悪化すると死にたくなるというのは総論的実存主義だ。 フロイトが唱えた理論でいくとモラルに従順な若年層程神経症に陥りやすいというわけになる。ちなみに性衝動はため込まずに公言できるレベルだと実は対したことじゃなかったりする。 解決
疾患というのは訳あって病気の中に逃げ込むわけ。病気だから逃避するの。 患者にできることは抗わないこと、受容すること。そこから手放していく。(苦痛からの解放) 心因性の病気や、神経症は手放すのが難しい。そこは受容していればリカバリーへ。
エゴが超自我でセルフが自我。 自殺や精神病にはエゴとセルフが強く関連してる。 フロイトだと無意識=性でほとんど中2病。そんな人間は性的ではない。
わかりやすく ルサンチマンとは自分の現実に対する不満から発生する、反動形成。 キルケゴールは自分自身とその状況を認めることができるか?と唱えた。 個人的には与えられた条件(運命系)へ身を委ねることができるかだと思っている。 気の合う人がいれば尚いい。
ヤスパース哲学と精神疾患 〜現実的な実在の受容へ〜 カール・ヤスパースは元々は精神科医である。 ヤスパースは哲学において、科学・交わり・真理・人間(現存在)・超越者に関する問題を提示する。 科学はあくまで道具として利用するものとしている。 ※例えばワードプロセッサ、音楽ソフト(DAW)などは貴重なツールである。 (それらは自我をプレイするという感覚である) 人間(現存在)は他者との関係性において現象の蓄積として存在している。 自我がある。つまり集合体=コミュニ
デカルト批判 我思う故に我ありは単なる自我の肥大化ではないだろうか? 我ここにいなくても、疑う私がいることは否定できないって屁理屈青年みたい。 懐疑・心的外傷・不安などマイナスなものから人間は始まるとも言えなくもない。
開示性とは? 堀辰雄 風立ちぬ 菜穂子より この勝気な少女は、その間中、一人で誰にも打ち明けられぬ苦しみを苦しみ抜いて、その挙句もう元通りの少女ではなくなっていたのだった。 これが自我障害(自分が自分でなくなるである)そしてそれは泣くほど辛いと医師は語っていた。 俺にも経験がある。 ニーチェの言う苦しみの開示なんて成長しないと完璧にできるものでもない。まあ人間は嘘や秘密を隠しとおすことはできないと書いたことがある。 あくまで理想である。 堀辰雄の文章からリアリズ
外の価値観のことを親教と言ったりする。世間様みたいなもの。マスメディアである。外圧とでも言おうか 精神科医やカウンセラーは外の価値観では動いていない。勝ち組・負け組とか関係ない。 哲学では自己現実と言ったりするけど、要はまず自分で自分を受容できるようにということである。論文には受け入れって書いた。 作業療法は抗うつのセロトニンを出すけど、リスクもある。ツールみたいなもの。 若い人なんか外圧と内圧のせめぎ合いをしているようなもの。春樹さんね。 漱石が心の内と外って書い
ロシア戦争してるっていうけど、日本のサバイバルとか精神医療なんか二百三高地・旅順攻囲戦みたいなもんよ。